明石の諜報戦

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 ここでは明石元二郎の手記「落花流水」と彼の伝記「明石元二郎」に記されているエピソードを元に、日露戦争中にヨーロッパで行われていた明石の諜報戦の概要を紹介していく。


明石の手記「落花流水」

 明石の手記「落花流水」は、彼の遺族から「特定少数者にだけ配布する」という条件で複製の許可を得て製本した非売品であり、序文にも『他人に見せてはならない』と記されている。その内容は、下記のようになっている。

 第一章 : ロシア皇帝の腐敗と、国民の反抗の歴史
 第二章 : 農奴制と、その解放後も国民には不満があることについて
 第三章 : 虚無主義、無政府主義、社会主義などの起因と学説、活動など
 第四章 : ロシア国内の不平分子を分類し、その特徴や活動を紹介
 第五章 : シリヤスク、レーニンなど革命運動家の紹介
 第六章 〜 第八章 : 日露戦争中に行った諜報活動の話題


間諜、助手、反間

 明石は近年の各国諜報部員と同じように、実際に諜報活動を行う「間諜」、その間諜との連絡係である「助手」、そして敵内部の二重スパイ「反間」を利用していた。


間諜

 現地での諜報活動のために雇い入れた間諜は、終戦時には7人いた。間諜の募集には困難を極め、最後までやりとおせる人物か不安であったが「成功と失敗とを賭し、目を閉じて飛び込むより外、これを求むるなかりき」という状況であった。当初は見ず知らずの者に前金を渡して任務を依頼することに躊躇いもあったが、ヨーロッパ人は金銭契約を忠実に守り、営利的に働く者は大きな成果を挙げることもあったという。

助手

 間諜との連絡や、金銭の受け渡しを担当していた。また、助手を介することで、間諜がお互いの事を知ることもできないようにしていた。終戦時には6人いたが、この助手の確保も困難であった。間諜の近親者が候補者としては最も適していたが、間諜は親戚などにその業務内容を知られることを好まないため、別途助手を探してくることが多かった。

反間

 露探(ロシアの諜報部員)の中にいる二重スパイ。その人物が二重スパイであることを知られないように、接触する際も色々と気を使わなければならなかった。
 また、ロシア退去時にロシア軍士官を一人買収し、大本営の許可を得て毎月500円を与えてスパイとして利用していた。しかし、この士官は後に逮捕され、獄中で自殺した。


[ 明石が各地に配置した諜報担当者と情報伝達網 ]


明石の暗号文

 明石は各地で活動する日本人武官や間諜との連絡で手紙を用いる場合、2〜3種類の筆跡を使い分ける、男女数名の変名を用いる、封筒や封印を数種類使い分ける、二重の封筒を用いる、などの工夫をしていた。また、途中で開封されても相手に内容を知られないように、常に暗号を用いていた。しかし、下記のような原始的な暗号を用いていたため、後で述べるエピソードでも紹介するように、そのほとんどが露探に解読されていたといわれている。


1,文中にムダ字を挿入する

 例えば「第三軍団、輸送始マレリ」という文章を暗号化すると以下のようになる(赤字が元の文章)。

「センダイノクマサングダンダンイマミユソウアルジマタヲコレリ

 ※ちなみに、「落花流水」ではこの文章を上記のようにカタカナで記述しているだけ。
 『仙台の熊さんグロン、だんだん今未輸送で、主また怒れり』ということ??  

 この例では原文2字、ムダ2字、原文3字、ムダ3字、原文1字、ムダ1字、原文2字、ムダ2字、・・・・を繰り返して元の文章にムダ字を挿入している。この他にも数種類の変換方法を用意し、署名が「熊吉」なら甲の変換法、「権兵衛」なら乙の変換法・・・というように使い分けていた。

2,文章の文字を逆に並べる

 つまり、 「第三軍団、輸送始マレリ」 → 「リレマジハウソユンダングンサイダ」 

3,商品名と数字

 兵種を商品名で表す。例えば「歩兵第五連隊『チェリヤビンスク』ヲ出発ス」を暗号化すると、「赤葡萄五百本『チェリヤビンスク』ニ送レ」となる。ただ、この方法は使用できる単語数に限度があったので不便であった。

4,あぶり出し

 方法が悪いせいか、それとも筆記者が薬品(具体的な薬品名は不明)を十分にペンに含ませていなかったせいか、時々文章が読みにくいことがあったという。

5,字書

 互いに同一の字書を持っておき、そのページ数と行数を指定して数字暗号とする。限られた人間だけが暗号帳を持っているため、秘匿性は高い。
 一回限りの暗号帳(OTP:ワンタイム・パッド)は世界中の主な情報機関で使われているもので、冷戦中にソ連のKGBが使用していたOTPは米英の情報機関に解読されなかったといわれている。

6,新聞

 毎日送る新聞を使って、文章作りに必要な文字の部分に穴をあけ、それを電灯で照らして見る。

諜報活動中のエピソード

外国の新聞で情報収集

 日露開戦前後の明石は、同僚から「いつ眠っていつ起きているのか分からなかった」と言われるほど各国の新聞を精読していた。全ての言語に精通していたわけではないため、辞書を片手に夜中まで読んでいたこともあったという。後に明石は、「ロシアは国内の出版物に対する検閲は厳しかったが、外国語の新聞に対してはほとんど検査がなされていなかったので、秘密情報などが掲載されていることが多々あった」と、外国語新聞からの情報収集の理由を語っている。


数日違いで難を逃れる

 デンマークのコペンハーゲンからバルチック海を航行する船中で、明石は一人の船員に葉巻を渡して雑談をしていたところ、その船員は「憲兵はあなたに目を付けています。先ほども船に来てあなたの行き先を訊ねていました」と教えてくれた。この数日後、同地を通りかかった瀧川大佐は拘引されてしまった。


扱いにくいロシアスパイ

 ロンドンで深夜までロシアの反政府政党員と密談していたとき、突然戸外で大騒ぎが起こった。何事かと思って飛び出してみると、一人の壮漢が巡査と取っ組み合いをしているところであった。すると政党員は二人の間に割って入り、巡査に平謝りし、その場は何とか収めることが出来た。後で聞くとその壮漢は政党員の護衛であり、「露探が後をつけてきたら殴れ」と言われていたため、近くを巡回していた巡査を露探と間違えて殴ってしまったとのことであった。後に明石は、「僻地の露人は質朴にして往々このような蛮行あるは深く戒むるところなるも、終に如何ともし難きことなり」と回顧している。


変名を使ったのに・・・

 ある方面に電報を出す際、自分の本名を出せない事情があったので変名を用い、これを児島中佐が現地で雇っていた家政婦に託したことがあった。すると電信所から戻ってきた彼女が「電信局では差出人の住所姓名を問われたので、私の家によく出入りする日本の明石大佐です、と答えたらさっそく受理されました」と報告したため、さすがの明石もしばらく開いた口が塞がらなかった。


敵か?味方か?

 ある日、明石は反政府組織のメンバーと会うためにある停車場で下車した。するとそこに居た夫婦と思われる一組の男女が明石に近づき「あなたはここに行かれるのではありませんか」と訊ねてきた。明石は待ち合わせ場所を言い当てられて驚いたが、素知らぬふりをして「いや、違います。公園を見物してからホテルへ行こうと思っています。どこか良いホテルはありますか」と言うと、その男女は丁寧に道順を教えてくれた。明石が二人の追跡を避けながら教えられた通りに進んでいくと、なぜか当初の目的地にたどり着いた。それからさらに進むと門を半開きにして手招きする者が見えたため、急いでそこに入り込んだ。そこにはすでに数人のメンバーが明石を待っていた。実は停車場で出会った男女も遠方から来ていたメンバーであり、現地人に顔を知られていないため明石の出迎えに来ていたのであった。当時の明石にはこういった類のエピソードが多数あったという。


活動内容は全て筒抜け!?

 明治37年5月頃、明石はロンドン郊外の小さな三流ホテルを拠点にし、反政府組織へ渡す銃器の購入に奔走していた。このホテルはシリヤクスなど親交のある同志にも知らせていないため、明石の居場所を知る者は宇都宮太郎だけであった。滞在して3日目、明石のもとに一通の封書が届いた。宇都宮からのものではなく、文中には女性の字で
「足下は次の木曜日午前十一時に、仏国パリのシャンゼリゼ街の地下鉄道入り口で私を待たれよ。足下は私を知らざるべきも、私は足下を熟知するが故に、必ず足下を見出し得られる。要は必ず足下のために告げんとする事件あればである。私の話は足下のためには甚だ必要である。足下は決して恐れ給うな」
と書かれている。わずか数日で何者か分からない一婦人に居場所を知られ、面会を申し込まれるというのは薄気味悪かったが、意を決した明石は指定された日にパリへ向かった。
 地下鉄入り口で待つこと数分、四十代の夫人が明石に近づいてきた。そして、指定されたホテルに入ると、その婦人はさっそく、
「私は露探の妻です。今は夫と争い別居中ですが、お金に困っています。もし400ルーブルを頂けるのであれば、貴方にとって有益な情報を提供します」
と提案してきた。明石が支払いを承諾すると、彼女は次々と内部情報を語り始めた。
「あなたはご存知ですか?ロシア側ではあなたを危険人物として目をつけています」
「あなたの行先はすべて露探の目が届いています。露探長のマロニロフは、もう今朝の八時にはあなたが凱旋門下をぶらついていることを知って「明石が来ているよ」と言っていました」
「あなたはロシア政府が危険視している反政府組織のシリヤクスやデカノーゼーと共謀して不穏な事を企んでいますね」
「あなたはハンブルグでフランクという人物から、約束の兵器の一部を購入できましたが、一部は失敗しました」
 ここまで言われるとさすがの明石も内心驚いたが、なお平然として聞き続けた。
「×月×日、あなたは夜行列車でベルリンからハンブルグへ来て、シリヤクスの宿のストロイツホテルの階段を上る時に出会った人を覚えていますか?彼はスプリンゲルという露探で、あなたがシリヤクスに会うために来る事を知って待っていたのです。その時に会合の内容を知られたため、銃器購入の一部が失敗したのです」
「あなたは今も銃器購入に奔走していることはすでに露探に知られていますが、その場所がハンブルグか何処かということは探索中です」
「徒歩はいけません。尾行されやすいです。また、あなたは平気で本名を出されますが、ホテルでは偽名を使うようにしなさい。それから小さな宿屋ではかえって目立つので、大きなホテルに泊まりなさい」
「今後も何度かご忠告申し上げますが、銃器の購買は十分にお気をつけください。特にあなたに申し上げたいことは、日本の暗号はロシア側に知られているということです」
 彼女の指摘はすべて事実であった。最初は二重スパイではないかと疑ったこともあったが、明石はその後もこの婦人を通じてロシア側の内情を探り続けたという。