運命の海

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二十七日 正午〜午後二時頃の戦況 (真之の戦闘詳報より)


「三笠艦橋の図」(東城鉦太郎画)


 第一、第二、第四戦隊及び各駆逐隊は正午頃、已に沖の島北方約十海里に達し、敵の左側に出でんが為め西方に針路を執りしが、午後一時三十分頃、第三戦隊及び第五、第六戦隊等も敵と触接を保ちつつ、相前後して漸次に来り合し、同時四十五分に至り、正に我が左舷南方数海里に始めて敵影を発見せり。
 敵は予期の如くその右翼列の先頭に「ボロジノ」型戦艦四隻の主力戦隊を置き、「オスラービヤ」「シソイ・ウェリーキー」「ナワリン」より成る一隊左翼列の先頭に占位し、「ニコライ一世」ほか海防艦三隻より成る一隊これに次ぎ、「ジェムチウグ」「イズムルード」の二艦は両列の間に介在して前方を警戒せるものの如く、なおその後方濛気の裏には「オレーグ」「アウローラ」以下二三等巡洋艦の一隊、「ドンスコイ」「モノマーフ」その他特務艦船等数海里に亘りて連綿続行するを仄(ほのか)に認むるを得たり。是に於て全軍に戦闘開始を令し、一時五十五分、全軍に対し
「皇国の興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」
との信号を掲揚せり。而して主力戦艦隊は少時南西に向首し敵と反航通過すると見せしが、午後二時五分、急に東に折れその正面を変じて斜に敵の先頭を圧迫し、第二戦隊も続航してその後に連り第三、第四戦隊、及び第五、第六戦隊は予定戦策に準じ何れも南下して敵の後尾を衝けり。これを当日戦闘開始の際に於ける彼我の対勢とす。


< 午後一時五十五分の両艦隊の位置 (「明治三十七八年海戦史」挿図) >

三笠艦橋に真之がいなかった!?

 2005年に「坂の上の雲の真実」(菊田慎典著)という本が出版された。その中で著者は、三笠艦長のメモや焼失前の「三笠艦橋の図」などを根拠とし、真之が敵前回頭の際は艦橋には居なかったと主張していたが、2008年の三笠保存会会報で小山事務局長がこの説に反論。根拠としたメモは誤認識であること、焼失前の一作目の「三笠艦橋の図」にも真之が描かれていた事などを挙げ、菊田氏の説が誤りであると結論づけている。菊田氏もこの誤りを認め、次回作の執筆時に釈明することになっているという。