痛み、苦しみ

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 子規の病状は徐々に進行し、晩年には結核菌が脊椎に感染して「脊椎カリエス」を発症。背中には瘻孔(ろうこう : 体内に溜まった膿が皮膚を破って出来た穴。死の門とも言われている)がいくつも開き、大変な苦痛を伴った。モルヒネなどで苦痛に耐えながら、子規は自らの痛みの様子を書き綴った。




  毎朝繃帯の取換をするに多少の痛みを感ずるのが厭(いや)でならんから必ず新聞か雑誌か何かを読んで痛さを紛(まぎ)らかして居る。痛みが烈しい時は新聞を睨(にら)んで居るけれど何を読んで居るのか少しも分らないといふやうな事もあるがまた新聞の方が面白い時はいつの間にか時間が経過して居る事もある。それで思ひ出したが昔関羽の絵を見たのに、関羽が片手に外科の手術を受けながら本を読んで居たので、手術も痛いであらうに平気で本を読んで居る処を見ると関羽は馬鹿に強い人だと小供心にひどく感心して居たのであつた。ナアニ今考へて見ると関羽もやはり読書でもつて痛さをごまかして居たのに違ひない。

 (墨汁一滴 明治三十四年二月十三日) 



 正誤 関羽外科の療治の際は読書にあらずして囲碁なりと。

 (墨汁一滴 明治三十四年三月十五日)



※関羽は中国三国時代の蜀の武将。毒矢で負傷した関羽が碁を打ちながらの手術を受けたという逸話は『三国志演義』で紹介されているが、正史『三国志』では囲碁は登場せず「手術中に配下の武将達と飲食していた」と書かれている。どちらにしても、子規が言うように他の事に集中して痛みをごまかすことによって、自らの豪傑振りを示していたのかもしれない。



 ガラス玉に金魚を十ばかり入れて机の上に置いてある。余は痛をこらへながら病床からつくづくと見て居る。痛い事も痛いが綺麗な事も綺麗ぢや。

(墨汁一滴 明治三十四年四月十五日)



 をかしければ笑ふ。悲しければ泣く。しかし痛の烈しい時には仕様がないから、うめくか、叫ぶか、泣くか、または黙つてこらへて居るかする。その中で黙つてこらへて居るのが一番苦しい。盛んにうめき、盛んに叫び、盛んに泣くと少しく痛が減ずる。

 (墨汁一滴 明治三十四年四月十九日)



 衰弱を覚えしが午後ふと精神激昂夜に入りて俄(にわか)に激しく乱叫乱罵するほどに頭いよいよ苦しく狂せんとして狂する能はず独りもがきて益苦む。遂に陸翁に来てもらふしに精神やや静まる。陸翁つとめて余を慰めかつ話す。余もつとめて話す。九時頃就寝。しかもうまく眠られず。

   (仰臥漫録 明治三十四年十月五日)




 支那や朝鮮では今でも拷問をするさうだが、自分はきのふ依頼昼夜の別なく、五体のすきなしといふ拷問を受けた。誠に話にならぬ苦しさである。

   (病牀六尺 明治三十五年九月十二日)


 人間の苦痛はよほど極度へまで想像せられるが、しかしそんなに極度にまで想像したような苦痛が自分のこの身の上に来るとはちょっと想像せられぬ事である。

 (病牀六尺 明治三十五年九月十三日)


※亡くなる数日前の記事。浮腫が増大するなど、末期の症状が現れ始めていた。