長い間寝たきりであった子規は時々介護者である母や妹に対して不満を持つこともあり、病状が悪化すると律に八つ当たりする事もあった。「日本」に連載していた「病牀六尺」ではそういった自分の姿を客観化して書いているのだが、非公開の日記のような形で書かれた「仰臥漫録」ではかなり激しい口調で律を罵倒するような記述にもなっている。司馬遼太郎は「ひとびとの跫音」の中でこの子規の文章を『苦痛にあぶられているだけに、「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」と冒頭から否定の言葉つらねた「再び歌よみに与ふる書」などよりも凄味がある』と述べている。
病勢が段々進むに従って何とも言はれぬ苦痛を感ずる。それは一度死んだ人かもしくは死際にある人でなければわからぬ。しかもこの苦痛は誰も同じことと見えて黒田如水などという豪傑さえも、やはり死ぬる前にはひどく家来を叱りつけたということがある。その家来を叱ることについて如水自身の言ひわけがあるが、その言ひわけはもとより当になったものではない。畢竟は苦しまぎれの小言と見るが穏当であろう。陸奥福堂も死際にはしきりに細君を叱ったそうだし、高橋自恃(じじ)居士も同じことだったというし、してみると苦しい時の八つ当りに家族の者を叱りつけるなどは余一人ではないと見える。
(病牀六尺 明治三十五年五月二十八日)
病気が苦しくなった時、または衰弱のために心細くなった時などは、看護の如何が病人の苦楽に大関係を及ぼすのである。殊にただ物淋しく心細きようの時には、傍の者が上手に看護してくれさへすれば、すなわち病人の気を迎へて巧みに慰めてくれさへすれば、病苦などはほとんど忘れてしまふのである。しかるにその看護の任に当る者、すなわち家族の女共が看護が下手であるといふと、病人は腹立てたり、癇癪を起したり、大声で怒鳴りつけたりせねばならぬようになるので、普通の病苦の上に、更に余計な苦痛を添へるわけになる。我々の家では下稗も置かぬ位の事で、まして看護婦などを雇ふてはない、そこで家族の者が看病すると言っても、食事から掃除から洗濯から裁縫から、あらゆる家事を勤めた上の看病であるから、なかなか朝から晩まで病人の側に付ききりに付いて居るというわけにもいかぬ。そこで病人はいつも側に付いていてくれといふ。家族の女共は家事があるからそうは出来ぬといふ。まず一つの争いが起る。また家族の者が病人の側に坐っていてくれても種々な工夫して病人を慰める事がなければ、病人はやはり無聊に堪えぬ。
(病牀六尺 明治三十五年七月十六日)
律は理屈づめの女なり。同感同情の無き木石の如き女なり 義務的に病人を介抱することはすれども同情的に病人を慰むることなし。病人の命ずることは何にてもすれども婉曲に諷(ふう)したることなどは少しも分らず。例えば「団子が食ひたいな」と病人は連呼すれども彼はそれを聞きながら何とも感ぜぬなり。病人が食ひたいといへばもし同情のある者ならば直に買ふて来て食はしむべし。律に限ってそんなことはかつてなし。故にもし食ひたいと思ふときは「団子買ふて来い」と直接命令せざるべからず。直接に命令すれば彼は決してこの命令に違背することなかるべし。その理屈っぽいこと言語同断なり。彼の同情なきは誰に対しても同じ事なれどもただカナリヤに対してのみは真の同情あるが如し。彼はカナリヤの籠の前ならば一時間にても二時間にてもただ何もせずに眺めて居るなり。しかし病人の側には少しにても永く留まるを厭ふなり。時々同情といふことを説いて聞かすれども同情の無い者に同情の分る筈もなければ何の役にも立たず。不愉快なれともあきらめるより外に致方(いたしかた)もなきことなり。
(仰臥漫録 明治三十四年九月二十日)
律は強情なり。人間に向って冷淡なり。特に男に向つてshyなり。彼は到底配偶者として世に立つ能はざるなり。しかもその事が原因となりて彼は終に兄の看病人となりをはれり。もし余が病後彼なかりせば余は今頃如何にしてあるべきか。看護婦を長く雇ふが如き我能(よ)く為す所に非ず。よし雇ひ得たりとも律に勝る所の看護婦即ち律が為すだけの事を為し得る看護婦あるべきに非ず。(中略)もし一日にても彼なくば一家の車はその運転をとめると同時に余は殆ど生きて居られざるなり。故に余は自分の病気が如何やうに募るとも厭はず、ただ彼に病なきことを祈れり。彼あり余の病は如何ともすべし。もし彼病まんか彼も余も一家もにっちもさっちも行かぬことなるなり。故に余は常に彼に病あらんよりは余に死あらんことを望めり。彼が再び嫁して再び戻り、その配偶者として世に立つこと能はざるを証明せしは暗に兄の看病人となるべき運命を持ちしためにやあらん。(中略)
彼は癇癪持なり。強情なり。気が利かぬなり。人に物問ふことが嫌ひなり。指さきの仕事は極めて無器用なり。一度きまった事を改良することが出来ぬなり。彼の欠点は枚挙に遑(いとま)あらず、余は時として彼を殺さんと思ふほどに腹立つことあり。されどその実彼が精神的不具者であるだけ一層彼を可愛く思ふ情に堪へず。他日もし彼が独りで世に立たねばならぬときに彼の欠点が如何に彼を苦むるかを思ふために、余はなるべく彼の癇癪性を改めさせんと常に心がけつつあり。彼は余を失ひしときに果して余の訓戒を思ひ出すや否や。
病勢はげしく苦痛つのるに従ひ我思ふ通りにならぬために絶えず癇癪を起し人を叱す。家人恐れて近づかず。一人として看病の真意を解する者なし。
陸奥福堂、高橋自恃の如きも病勢つのりて後はしばしば妻君を叱りつけたりと。
(仰臥漫録 明治三十四年九月二十一日)