発信原稿史料紹介・番外編

学習院大学文学部史学科2年 長谷川怜 

 「発信原稿」第一号の電文(明治37年6月23日発)は大本営の罫紙に記されている。役職名を書く欄は、「総長」「次長」「参謀」となっている。しかし、7月8日の電文罫紙には「満洲軍総司令部」の名が入っている。この違いに何か理由はあるのだろうか。
 満洲軍は、実際に戦闘が行われている満洲の地で、的確に情報を掴み各戦闘に迅速な対応ができるようにすることを目して創設された。すなわち大本営の出先機関・出張所である。創設は6月20日であった。しかし、人事のことや、命令系統の整備など、当初は様々な面で不都合が発生したであろうことは想像に難くない。そうした不具合を乗り越えて、「満洲軍」が名実ともに充実した時期はいつであろうか。
「総司令官」「総参謀長」「参謀」の役職がしっかりと決定し、組織の運営がスムーズになった、その時期がおそらく創設から約2週間後の7月8日頃であったといえるだろう。この電文は、満洲軍が躍動し始めたその時を示すものである。