「発信原稿 満洲軍参謀部諜報部」

学習院大学文学部史学科2年 長谷川怜 

 満州義軍2


明治三十七年八月六日
田中騎兵少佐より福島少将宛
倉辻中佐ヨリ義軍既ニ千人ヲ得金半月分ナシ故ニ至急三万円送附ノ事ヲ花田ヨリ請求ストノ報アリ閣下ヨリ倉辻中佐ヘ何分ノ御返電アリタシ



これは、満洲義軍の規模と予算についての貴重な記録である。日露開戦(明治37年2月)から半年で、義軍の規模は千人を超えるものとなったのである。そのために、資金面(武装のみならず、食料や兵に対する褒章など)ではかなり苦労したようである。義軍の一ヶ月あたりの費用は、「約一万円ノ範囲内」であったから、ここで請求されている額は法外な値段であろう。当時のレートを現在の金額にすると、大体当時の1円が現在の8000円にあたるからだ [1]。すなわち、電文にある「三万円」は現在の価値で2億4000万円にも上る。これは驚くべき金額であるが、

明治三十七年八月十一日
福島少将より倉辻中佐宛
但シ今回ニ限リ請求通リ三万円ヲ送ル如ク取計ラヒ置キタリ


と許可が出ていることから、参謀本部の義軍に対する期待の大きさがうかがい知れよう。ちなみに、資金の許可に関しては、福島少将の一存で決定されるわけではなく、大本営との協議によることが他の電文から明らかになっている。組織が内実ともに充実するまでには、かなりの費用がかかるのは当然である。欧州にて謀略活動を行っていた(明石工作)明石大佐の活動資金も、謀略活動が軌道に乗るまではかなり無駄になった部分もあったからである(なお、彼の活動資金は100万円であった)。


 1  稲葉千晴『明石工作』丸善ライブラリー 1995年 P26