第三回旅順口閉塞

坂の上の雲 > 軍事 > 第三回旅順口閉塞

海戦の経過


※第1回作戦参加の天津丸、武州丸、武陽丸はさらに沖合に沈没したため、地図には描かれていない。


 第三回の閉塞作戦は5月3日未明に行われた。第一回、第二回の経験に基づいて閉塞船十二隻を用いた大規模な作戦となるはずだったが、天候不良のため旅順に向かう途中で中止命令が出された。しかし、この命令が届かなかった八隻の閉塞船はそのまま突入し、旅順港外で自沈・沈没した。この作戦では死傷者、行方不明者が90名を越える損害を出した日本海軍は、以後閉塞を断念し旅順陥落まで海上封鎖を続けることになる。


閉塞船に向かう隊員を見送る朝日の乗員。

逸話

  第一回閉塞作戦の計画を知った瓜生は「たった四艘や五艘ばかりで閉塞ができるものではない。二十艘ぐらいでやらなければいかん」と言った。これを聞いた森山は「我々としては五艘だって多すぎると思っているのに、大げさなことを言われるなぁ」と相づちを打つ気も無かったという。しかし、五隻で行った第一回目、四隻で行った第二回目が失敗に終わり、さらに最後の第三回は十二隻で実行したものの敵の警戒が厳しいため目的を達することができなかった。後に森山は「もし敵の警戒が十分でなかった一回目に、瓜生司令官の所見のように二十隻を使用していれば、犠牲少なく多大な効果を挙げることが出来ただろうと思った」と述べている。