外国の政治家、軍人

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ルーズベルト(1858〜1919)

アメリカ合衆国第26代大統領海軍軍備拡張、パナマ運河敷設権の獲得、対中国門戸開放政策宣言、日露戦争の講和の斡旋、モロッコ問題の解決など積極的な対外政策を展開した。

 Episode 〜

 ある日、ルーズヴェルトは南部地方で地元主催の狩りに参加した。主催者側は大統領のためにと、あらかじめ一頭の子熊を捕らえておき、それを木に縛り付けて大統領が仕留められるようにしておいたが、ルーズヴェルトはその子熊を撃たずに帰ってしまった。
 数日後、この子熊を助けた大統領の美談を新聞が報じたところ、このニュースに便乗して熊のぬいぐるみが売り出された。このぬいぐるみは大ヒットとなり、セオドア・ルーズベルトの愛称「テディ」から、『テディベア』と呼ばれるようになった。
  

ウィッテ(1849〜1915)

ロシアの大蔵大臣。日露開戦に反対し、政治舞台から遠ざけられる。ポーツマス会議では強気で交渉に臨み、日本側に賠償金を断念させた。

 Episode 〜

 ポーツマスでの講和条約成立後、ウィッテは会議での出来事を得意気に記者たちに語った。
「日本の講和条件を聞くために会議場へ行くと、小村氏が大切そうな文書を私の前に突きつけた。私はこれを受け取ったが、さも不必要な物のように卓上に置いた。これが講和条件の書かれた文書であろうとは思ったが、知らん顔をして雑談を始めると、小村氏は何とかして講和の話題を持ちかけようとする。何とかその話題を避け、ちょうど食事時になったときに、私はその文書を卓上に置いたまま食堂へ行こうとした。しかし、先刻から私の様子に目を付けていた日本の書記官から「閣下、これをお忘れになりました」と文書を渡された。私がそれを受け取って無造作にコートのポケットに突っ込んだ時には、さすがの日本全権どもも驚いた様子であった。だが日本全権たちが去った後は、食事もとらずにその文書を一字一句念入りに読んだよ。」
  

クロパトキン(1848〜1925)

満州軍総司令官。遼陽や奉天で後退戦術を採るが、敗退。奉天会戦後に第1軍司令官に降格。後に第一次大戦でも敗北し、2月革命では逮捕されたが、釈放され、教師として余生を送った。

 Episode 〜

 戦後、クロパトキンは自ら日露戦史を記して皇帝に捧呈したが、内部告発的な内容であったためその公開は禁じられた。その後、外国の通信社員がその一部を入手し、さらに日本の新聞社が現地特派員にその概要を打電させて「クロパトキン将軍の著はせる日露戦史」として出版した。
 その内容は「戦史」「戦記」というよりも「弁明書」に近い内容であり、将兵の士気の低さや指揮官達の稚拙な戦術が日露戦争の敗因であると論じている。これを読んだ奥保鞏は次のように批判している。
「彼の言うとおり兵が怯懦だとか軍令が行われていなかったということが事実だとしても、今になって徒に罵らなくても、将軍として取るべき手段方法はあったはずだ。皇帝に上申して進退を伺うとか、部下を軍律に問うとか、その他にも色々ある。もし軍令が行われずに士気を喪失して遼陽会戦で敗れたとしても、奉天会戦までは数ヶ月の期間があったのだから、その間に問題は解決できたはずである」
 一方、野津道貫は遼陽に於いて巧妙に軍を撤退させた点についてクロパトキンの力量に一定の評価を与えると共に、陸相として戦争に反対したにも関わらずその地位より下の総司令官に任命されて戦場で戦う事となり、さらに総司令官を罷免されたあとも一軍の司令官として戦い続けた立場にも同情的な意見を述べている。

ロジェストウェンスキー(1848〜1909)

ロシア第2太平洋分遣艦隊司令官。バルチック艦隊を率いて極東に向かい連合艦隊と戦うが、日本海海戦で敗北。捕虜となり、帰国後軍法会議にかけられたが、重傷の理由で放免された。
 

マカロフ(1849〜1904)

ロシア太平洋艦隊司令長官。旅順港外で旗艦が機雷で爆沈し、戦死。ロシアが誇る海軍戦術の大家で、多くの著作を残す。また、砕氷船の設計、北極探検など、学術研究も行っていた。
 

ステッセル(1848〜1915)

旅順要塞司令官。第3軍と激戦を展開するが、余力を残して降伏。後に軍事法廷で死刑を宣告されたが、乃木の助命運動により減刑された。
 

ニコライ二世(1868〜1918)

帝政ロシア最後の皇帝。積極的な極東政策をとったが日露戦争に敗れ、第一次ロシア革命を誘発。第一次世界大戦中、二月革命で退位、十月革命後シベリアで処刑された。
 

メッケル(1842〜1906)

ドイツ陸軍の将校で、モルトケの愛弟子。日本政府の要請により、明治18年から3年間、陸軍大学校で児玉源太郎らに戦術などを教えた。
 

李鴻章 (1823〜1901)

清の政治家。太平天国の乱の際、淮軍を組織して太平天国軍と戦った。芝罘条約、下関条約、義和団事件など重要外交のすべてにかかわった。
 

袁世凱 (1859〜1916)

中国の軍閥政治家。辛亥革命後、中華民国最初の大総統となる。孫文らを排して独裁権力をふるい、帝位につくことを企てたが失敗した。