出身地 ロシア
生没年 1849年〜1922年
全名 ニコライ・イワノヴィチ・ネボガトフ
1869年に海軍兵学校を卒業し、士官として砲艦などで勤務。巡洋艦ナヒモフ艦長や砲術学校の校長などを務めた。日露戦争中の1905年、第3太平洋艦隊司令官に就任し、旧式軍艦を率いて出港。バルチック艦隊と合流し日本海海戦で連合艦隊と戦うが敗北。残存艦を率いてウラジオストックへ向かおうとしたが、連合艦隊に包囲され降伏した。帰国後の軍法会議では死刑を宣告されるが、後に懲役10年に減刑。1909年に特赦で釈放されると、その後は行商などをしながら余生を送ったという。