仁川沖海戦

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海戦の経過


 明治三十七年二月六日、連合艦隊は佐世保を出港した。このうち第四戦隊(巡洋艦 浪速、明石、高千穂、新高)、巡洋艦 浅間、第九艇隊(水雷艇 蒼鷹、雁、燕、鴿)、第十四艇隊(水雷艇 千歳、隼、真鶴、鵲)で編成された「瓜生戦隊」は、木越少将率いる上陸部隊を載せた輸送船三隻と共に仁川に向かった。
 その頃、仁川港には日本海軍の巡洋艦 千代田とロシア海軍の巡洋艦 ワリャーグ、砲艦 コレーツが碇泊していた。七日夜、密かに出港した千代田は翌朝に港外で瓜生戦隊と合流。千代田の先導で瓜生戦隊は仁川港に入港し、陸軍部隊を上陸させた。
 その後、瓜生はロシア側に対して九日正午まで仁川港から退去するよう要求。九日正午、これに応じる形でロシア艦隊が出港したため、瓜生艦隊は沖合で迎撃した。午後十二時二十分、距離七千メートルで浅間がワリャーグに対して砲撃を開始。応戦したワリャーグは間もなく被弾火災を起こし、コレーツと共に再び港内に引き返した。そしてその夜、ロシア側が二艦を自沈させて戦闘が集結した。



            ↑浅間           ↑八尾島 ↑ロシアの軍艦

コレーツ(上)、ワリャーグ(下)

黒煙をあげて爆沈するコレーツ。中央の島は八尾島。

逸話

 仁川へ向かう途中、巡洋艦「高千穂」が急に速力を落とした。そして、旗艦に次のような信号が送られてきた。

『ワレクジラヲツク』

 参謀の森山慶三郎は何かの間違いだと思い『クジラトハナニナルヤ』と尋ねると、

『クジラトハオーイナルサカナナリ』

と返電されてきたので思わず吹きだしてしまった。実際に望遠鏡で見てみたところ、高千穂の艦首が鯨の横腹に突き刺さっている。乗員が斧で切り離そうとしたが鯨が暴れるのでなかなか近づけず、けっきょく艦を後退させることによってようやく離れることができた。この後、戦隊では戦勝の前兆だといって兵達が喜んだという。


 森山は戦後の座談会において、仁川での陸軍部隊上陸について「機先を制して、敵が充分増員しないうちに上がっていったということは、即ち日本の海軍力の然からしめたもので、私は陸軍の戦の半分は、海軍の功績をもっているものであって、私どもも、陸軍の方から勲章を半分貰ってもいいと、こう心得て居ります」と語り、会場の笑いを誘った。