それ戦勝を記念するは啻(※)たに士気を振作し軍容を整斉する道たるのみならず邦家を永遠に祝福しその発達を無窮に期待する所以なり。
惟(おも)うに明治三十七八年の戦役は千古を曠(むなし)うし宇内(うだい)を震撼せるの偉績たり。而して作戦の経過を観るに我軍の連勝を以て終始を貫く故に各部各隊の記念に存すべきの日また僂指(るし)するに遑(いとま)あらずと雖も、中に就き重要なるものを選び以て全般を通じて遵行せしむるを最も允当(いんとう)なりと信ず。
案ずるに明治三十七年八月十日黄海の海戦の如きは旅順敵艦隊の主力を摧破(さいは)して制海の権を我に収め拠て以て局面の展開を促進したるものにして実に本戦役に於ける一大関鍵と謂うべきなり。それ然り。而れども尚一層緊切なる交戦を挙ぐれば蓋し明治三十八年五月二十七八日に於ける日本海の海戦を推さざるを得ず。この戦は我艦隊の全部これに参与し、敵また最後の運命を賭し死力を竭(つ)くして来り抗し空前の激闘に入り、我遂に彼を殲滅して愈々(いよいよ)制海権を確把し、以て這般戦局の大勢を決したるものなり。
乃ち吾人は日本海の海戦中最も重要なる第一日を取り、五月二十七日を以て帝国海軍の記念日と定め、永遠にこれを保つべきことをここに宣明す。
(明治三十九年三月十七日)