旅順口奇襲

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海戦の経過


 明治三十七年二月八日、旅順東方の円島に集結した連合艦隊は第一、第二、第三駆逐隊を旅順港に向かわせた。九日午前零時頃、駆逐隊は油断していたロシア艦隊に魚雷攻撃を行い、ツェザレビッチ、レトウィザン、パルラーダの三隻に損害を与えた。この時、ロシア側はマリア祭の祝宴で完全に油断していたのだが、日本の駆逐艦隊が暗夜で隊列を乱したこともあって、期待していたほどの戦果をあげることはできなかった。



第二駆逐隊の駆逐艦「東雲」

陸上からの砲撃を受けている巡洋艦「パルラーダ」

逸話

 この奇襲作戦では相手が油断していたにもかかわらず、日本側の戦果は敵艦3隻大破に止まった。駆逐艦「漣」の艦長であった近藤常松は戦後の座談会でこの時のことを回顧し、「・・・いくら豪胆だといっても、さて初陣となると、人間そううまくいくものではない。やはり歴戦者というものは尊重すべきだと考えております」と語った。この時、別の座談会参加者が「同感!」と叫んだ。


 駆逐隊の戦果について、当初は駆逐隊が大分沈めたかのような報告をしていた。しかし、軍令部への報告段階では三隻となっている。この時の経緯については森山が座談会で次のように語っている。

東郷さんに秋山参謀が「敵の損害を何隻としましょう」と伺った。僕等は七八隻はやっていると仰るだろうと思っていると、東郷さんは小切りも小切ったね。
「二隻」(会場から笑声)
そうすると浅井さん(駆逐隊司令)が拝むようにして
「東郷長官、もう一隻!」(会場から笑声)
と言われますと、東郷さん
「それぢゃ三隻にしておけ」