飯待つ間


 

 題名の通り、子規がメシを待つ間に暇つぶしで書いただけのもの。でも、庭の写生だけでなく外の子供達の様子まで生き生きと描かれていて面白い作品。

 

 

 余は昔から朝飯を喰わぬ事に決めて居る故病人ながらも腹がへって昼飯を待ちかねるのは毎日のことである。今日ははや午砲が鳴つたのにまだ飯が出来ぬ。枕もとには本も硯も何も出て居らぬ。新聞の一枚も残って居らぬ。仕方が無いから蒲団に頬杖ついたまゝぼんやりとして庭をながめて居る。

 をとゝひの野分のなごりか空は曇つて居る。十本ばかり並んだ鶏頭(けいとう)は風の害を受けたけれど今は起き直って真赤な頭を揃えて居る。一本の雁来紅(がんらいこう)は美しき葉を出して白い干し衣に映つて居る。大毛蓼(おおけたで)といふものか馬鹿に丈が高くなつて薄赤い花は雁来紅の上にかぶさつて居る。

 

 このイラストは『まぜるなキケン!』のキリ番26000で甲乃さまに描いて頂きました。植物や子規庵の様子も細かいところまで再現されていて、この作品のイメージにぴったりです。 ありがとうございました m(_ _)m 。 このイラストの詳細については、以下のページを参照して下さい。

「まぜるなキケン!」 > 「お絵かき帳」 > 「キリ番絵」

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ここで登場する植物の紹介。

 

鶏頭 【 ひゆ科  学名:Celosia cristata 】 (イラスト右側)

花が雄鳥の鶏冠(とさか)のように見えるので「鶏頭」という名前がついた。開花時期は、8月〜12月頃。別名「鶏冠花」(けいかんか) 、「韓藍」(からあい)。


雁来紅 【 ひゆ科  学名:Amaranthus tricolor 】 (イラスト中央)

赤と赤紫の2色に染まった葉を鑑賞する植物。雁が飛来する頃に葉が赤く染まるので「雁来紅」と呼ばれている。葉の観賞期間は8〜10月頃。 別名「はげいとう」。


大毛蓼 【 蓼(たで)科  学名:Polygonum orientale 】 (イラスト左側)

犬蓼(イヌタデ)や大犬蓼よりも大きく、全体的に毛が多いことからこの名前がつけられた。開花時期は8月〜11月頃。別名「大紅蓼」。

 

 

 子規がぼんやりと庭をながめていると、垣の外から子供達の声が聞こえてきた。

 

 

 さつき此庭へ三人の子供が来て一匹の子猫を追ひまはしてつかまへて往つたが、彼等はまだ其猫を持て遊んで居ると見えて垣の外に騒ぐ声が聞こえる。竹か何かで猫を打つのであるか猫はニャーニャーと細く悲しい声で鳴く。すると高ちャんといふ子の声で「年ちャんそんなに打つと化けるよ化けるよ」と稍(やや)気遣はしげにいふ。今年五つにな年ちャんといふ子は三人の中で一番年下であるが「なに化けるものか」と平気にいつて又強く打てば猫はニャーニャーといよいよ窮した声である。三人で暫く何か言つて居たが、やがて年ちャんといふ子の声で「高ちャん高ちャんそんなに打つと化けるよ」と言つた。今度は六つになる高ちャんといふ子が打つて居るのと見える。やゝあつて皆々笑つた。年ちャんといふ子が猫を抱きあげた様子で「猫は、猫は、猫は宜しうござい」と大きな声で呼びながらあちらへ往つてしまつた。

 

飯はまだ出来ぬ。

 

 

 小い黄な蝶はひらひらと飛んで来て干し衣の袖を廻つたが直ぐまた飛んで往つて遠くにあるおしろいの花を一寸吸ふて終に萩のうしろに隠れた。

 籠の鶉(うずら)もまだ昼飯を貰はないのでひもじいと見えて頻りにがさがさと籠を掻いて居る。

 台所では皿徳利など物に触れる音が盛んにして居る。

 見る物がなくなつて、空を見ると、黒雲と白雲と一面に丑寅の方にずんずんと動いて行く。次第に黒雲が少なくなつて白雲がふえて往く。少しは青い空の見えてくるのも嬉しかつた。

 例の三人の子供は復我垣の外迄帰つて来た。今度はごみため箱の中へ猫を入れて苦しめて喜んで居る様子だ。やがて向ひの家の妻君、即ち高ちャんといふ子のおッかさんが出て来て「高ちャん、猫をいぢめるものぢャありません、いぢめると夜化けて出ますよ、早く逃がしておやりなさい」と叱つた。すると高ちャんといふ子は泣き声になつて「猫をつかまへてきたのはあたいぢャ無い年ちャんだよ」といひわけして居る。年ちャんといふ子も間が悪うて黙つて居るか暫く静かになった。

 

くワツと畳の上に日がさした。

 

飯が来た♪

(注:もちろん、原文には無い)

 

『ホトトギス 第三巻第一号』 (明治三十二年十月) 

 

 

 この2年後に書かれた「仰臥漫録」には毎日の朝食の献立も載っているので、これ以降は昼食が待ちきれなくなって朝食も食べるようになったのかもしれない。

 ホトトギスの編集を行っていた虚子のところにはこの「飯待つ間」の原稿と共に、猫の顔と寝姿が描かれた写生画も送られてきた。そこには、絵の説明としてこの話の続きが書かれている。
 このあと、イタズラ子の手を逃れてきた子猫は子規庵に逃げ込んできた。そして子規が寝ている蒲団にまで上がると、そこに蹲って汚れた毛を嘗め始めた。ちょうどそのとき、律が部屋に入ってきた。律は糸の先に球をつけると、それを猫の目の前で振り始めた。猫は毛を嘗めるのを止めて振り子を見つめている。子規はその様子を絵に描き始めたのだが、首だけ描いたところで糸が切れ、猫は再び蒲団に蹲って寝てしまった。そこで、子規は寝ている猫の姿を描き始める。そして描き終えた頃・・・・

 

 写して正に了る時 再び来りて猫をつまみ出しぬ。猶追へども去らず、

再び何やらにて大地に突き落としぬ

 

 数分前まで猫と遊んでいた律のこの豹変ぶりは一体・・・・。幼少の頃に子規をいじめた悪童に「兄ちゃまの仇」と言って石を投げたという逸話があるだけに、化け猫なんか怖くなかったのだろう。