鴨緑江渡河戦

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戦闘の経過


四月三十日午後六時頃の両軍の配置  〜 「明治卅七八年日露戦史」 第一巻 挿図第十三 〜


 日露開戦後に動員された第一軍は、制海権がほぼ確保された三月に入ってから朝鮮半島への上陸を開始した。そして四月上旬からロシア軍の小部隊を追いつつ北上を続け、四月二十日頃には鴨緑江左岸への展開を終えた。
 四月二十七日、近衛師団が九里島を、第二師団が黔定島を占領。翌二十八日には鴨緑江支流への架橋をほぼ終え、砲兵を進出させた。また、第十二師団は水口鎭付近から北上し、ロシア軍左翼方面へ展開した。こうして攻撃準備を整えた第一軍は、三十日夜に対岸への渡河を開始。翌朝からの攻撃では二倍以上の火力で終始敵を圧倒し、午後にはロシア軍を退却させた。



第一軍司令部将校。2列目向かって左から四人目が軍司令官の黒木為驕B
その右隣の帽子をかぶっていない人物が参謀長の藤井茂太。



陣中の黒木(右)と藤井(左)

逸話

 五月一日の早朝、第一軍の各師団は一斉に渡河を開始した。しかし、午前八時頃になってもまだ銃声・砲声が聞こえてこない。「しまった!敵は退却してしまったのではないか」参謀の福田雅太郎が叫ぶと、近くにいた軍司令官の黒木は「逃げるものですか。逃げるならもっと早く逃げていますよ」と言った。その後しばらくすると前線で銃声が起こり、日露両軍の戦闘が始まった。


 鴨緑江会戦中、第一軍参謀長の藤井茂太が一番心配していたのが雨だった。しかし、渡河中は降ることもなく、攻撃が落ち着いた夕方頃に雨が降り出した。翌朝、黒木と藤井が九連城を視察すると、敵が町を焼いて退却したので家が無く、数千人の捕虜達が道路に連なって並んでいた。「これは何をしているのか?」と黒木が訪ねると、係の兵が「あまりにも湿りましたから、乾燥させております」と答えた。黒木は笑いながらその場を通り過ぎたという。