坂の上の雲入門

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 スペシャルドラマの放映に伴い、より多くの方々が「坂の上の雲」を読み始めることになると思います。そこで、まだ読んだことのない方、これから読もうと思っている方、読み始めたばかりの方、もう一度読みなおそうと思っている方々のために、「坂の上の雲」とはどういうものかということをQ&A形式で分かりやすく紹介していきます。


【「坂の上の雲」全般、司馬作品について】

Q:「坂の上の雲」とはどんな小説ですか?

 A:維新から日露戦争終結までの明治日本を描いた歴史小説です。

 維新を経て近代国家の仲間入りをしたばかりの「明治日本」と、主人公たちを軸にその明治という時代を生きた「楽天家たち」を描いた歴史小説です。1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)までの約4年間、産経新聞夕刊に連載されていました。


Q:「坂の上の雲」は全部で何巻ですか?

 A:文庫本では8巻、では単行本は全6巻です

 司馬遼太郎全集でも24〜26の3巻に収録されています。書店やAmazonで入手しやすい文庫本は、1巻あたり350〜400ページです。


Q:読みやすい作品ですか?

 A:前半は読みやすいのですが、後半は少し難しいかもしれません。

 前半部分は日清戦争の部分が少し複雑ですが、比較的読みやすいと思います。一方、後半の日露戦争の部分は読み進めるのに苦労するかもしれません。話が時々脱線することに加えて、各部隊の位置関係や時系列が分かりにくいからです。1回読んだだけではなかなか理解できない所もあるので、巻末の地図などを参照しながら何度か読み返すと分かりやすいと思います。


Q:「坂の上の雲」というタイトルにはどのような意味があるのですか?

 A:目の前の夢、目標を見つめながら実現に向けて進んでいく明治人の姿を現しています。

 「あとがき」ではこのタイトルについて、『このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家たちの物語である。やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでいく。(中略)楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつけて坂をのぼってゆくであろう。 』と書かれています。


Q:主人公は誰ですか?

 A:秋山好古、秋山真之、正岡子規の3人です。

 「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」を詠んだ俳人の正岡子規、子規の親友で日本海海戦時の電文「本日天気晴朗なれども波高し」の起草者である秋山真之、真之の兄で日本騎兵を育て上げた秋山好古、この3人が主人公です。正岡子規は国語や日本史の授業でも名前を聞いたことがあるかもしれませんが、秋山兄弟についてはこの作品を読むまで名前すら知らなかったという読者がほとんどです。


Q:他にどのような人物が登場しますか?

 A:夏目漱石、伊藤博文、東郷平八郎などが登場します。

 学校の授業で名前が出てきた人物としては、文学分野では夏目漱石、高浜虚子、河東碧梧桐、政治家では伊藤博文、山県有朋、桂太郎、陸奥宗光、小村寿太郎、軍人では東郷平八郎、乃木希典らが登場します。また、明石元二郎や立見尚文など知名度は低くても個性的な人物も数多く登場します。


Q:司馬作品では他にどのような歴史小説がありますか?

 A:「竜馬がゆく」、「燃えよ剣」、「翔ぶが如く」、「最後の将軍」などがあります。

 坂本龍馬が主人公の「竜馬がゆく」、土方歳三が主人公の「燃えよ剣」は「坂の上の雲」と共に常に司馬作品の人気投票トップ3に入る作品です。また、大河ドラマ化された作品としては「竜馬がゆく」(1968年)の他、「国盗り物語」(1973年)、「花神」(1977年)、「翔ぶが如く」(1990年)、「最後の将軍」(1998年「徳川慶喜」)、「功名が辻」(2006年)があります。


Q:「坂の上の雲」と関連の深い司馬作品は何ですか?

 A:「ひとびとの跫音」「殉死」などがあります。

 「ひとびとの跫音」は子規の妹の律、叔父の加藤拓川、養子の正岡忠三郎、共産党員であり詩人でもあったタカジ(ぬやま・ひろし)など、子規と関わりのある人々を描いた、「坂の上の雲」の続編とも言える作品です。「殉死」は乃木希典を主人公とし、旅順攻撃から殉死までを描いた「坂の上の雲」の準備段階の作品とも言えます。また、司馬遼太郎全集には「坂の上の雲を書き終えて」「”旅順”と日本の近代の愚かさ」など、関連するエッセイがいくつか収録されています。


Q:ビジネスマンに人気がある作品というのは本当ですか?

 A:本当です。ビジネス雑誌でよく推薦図書に挙げられています。

 近代化に向かって進んでいく明治人たちを描いた「坂の上の雲」は、高度成長期であった連載当時からビジネスマンや経営者に好評を博していたそうです。経営者から見れば軍人達の決断力やリーダーシップが参考となり、また一般社員たちは目標に向かって突き進んでいった登場人物たちの姿に共感したのでしょう。最近でも、ビジネス雑誌では推薦図書の上位に挙げられているほどです。



【NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」】

Q:スペシャルドラマは普通の大河ドラマの何が違うのですか?

 A:放映期間、放送時間、予算規模などが違います。

 2003年にNHKが映像化を発表した当初は、2006年の「スペシャル大河ドラマ」として、通常の大河ドラマとは別枠で放映される予定でした。しかし、NHKで不祥事が相次いだことや脚本家の方が亡くなったこともあり、放送は2009年まで延期されました。それに伴い、放送も当初の「1年間、全20話、1話90分」の予定から、「3年間、全13話、1話75分」に変更となっています。また、予算規模も通常の大河ドラマが1話あたり数千万円であるのに対し、「坂の上の雲」は4億円前後とも言われています。


Q:作者が映像化に反対していたというのは本当ですか?

 A:本当です。ドラマ化の要請は全て断り続けていたそうです。

 映像化の話はかなり前からあったようですが、戦争賛美のドラマと誤解されること事を心配した司馬さんの反対によって実現しなかったそうです。その後、NHKが親族の方と粘り強く交渉を続け、2003年に映像化が発表されました。



【小説と史実】

Q:司馬史観とは何ですか?

 A:司馬作品のなかに表れている独特の歴史観を指しています。

 「司馬史観」の特徴は「明るい明治と暗い昭和の対比」「形而上的、非合理的なものの批判」と言われています。これらについては今でも様々な議論の的となっています。ただ司馬さんが「司馬史観」を提唱したというわけではなく、本人は「史観」というものに対してはどちらかというと否定的だったようです。


Q:「坂の上の雲」に描かれていることは全て史実ですか?

 A:全て史実というわけではありません。誤りや作者の思い込みもあります。

 前述したような「司馬史観」と呼ばれる歴史観が、ある意味では作者の「先入観」になっており、若干偏った記述になっている箇所も多く見られます。また、当時は見ることの出来なかった資料が後年になって発見され、そこから新事実が分かったということもありました。「坂の上の雲」はあくまでも小説です。「三国志」で言えば「三国志演技」のような位置付けであり、正確な歴史書「正史」では無いため、書かれていること全てを鵜呑みにすることは出来ないものです。


Q:「坂の上の雲」の誤りを指摘する本の主張は正しいのですか?

 A:こちらも全て正しいとは言い切れず、さらに大きな間違いをしているものもあります。

 まず、タイトルにわざわざ「坂の上の雲」と入れているような批判本は、後になって別の専門家から基本的な誤りを指摘されることが多く、その考証内容には問題があるようです。特に日露戦争100周年およびスペシャルドラマ放映に合わせて「新説」を打ち出してくるような便乗書籍については、その内容はあまり正確でないと思っておいた方がよいでしょう。



【日露戦争について】

Q:日露戦争の史跡としてはどのようなものが残っていますか?

 A:記念艦三笠や旅順要塞、二○三高地などがあります。

 日本海海戦で連合艦隊旗艦として戦った戦艦三笠は、現在横須賀市で記念艦として保存されています。太平洋戦争後に一時荒廃しましたが、その後、当時の姿に再建されて今に至っています。毎年5月27日には記念式典が開かれています。また、日露両軍の激戦地となった旅順要塞、二○三高地もほぼ当時のまま残されています。ただし、旅順地区は中国軍の軍港として利用されているため、見学は東鶏冠山北堡塁、二○三高地、水師営の会見所など一部の地域に限られています。


Q:日露戦争の映画やドラマはありますか?

 A:「日本海大海戦」「二百三高地」などがあります。

 日露開戦から日本海海戦までを描いた「日本海大海戦」(1969年)は三船敏郎さん(東郷平八郎)、加山雄三さん(広瀬武夫)、仲代達矢さん(明石元二郎)らが出演しています。円谷英二さんが特技監督を担当した海戦シーンはとても迫力があります。「二百三高地」(1980年)は「トラ・トラ・トラ!」の日本側シーンを担当した舛田利雄さんが監督。あおい輝彦さん(小賀武志) 、丹波哲郎さん(児玉源太郎)、仲代達矢さん(乃木希典)らが出演しています。どちらもDVDが発売されています。


Q:丁字戦法はあったのですか?

 A:あったという説と、無かったという説とがあります。

 1991年に戸高一成さんが「日本海海戦に丁字戦法はなかった」という論文を発表してからは、「丁字戦法は無かった」という説を採る人が増えてきましたが、まだ議論の余地があるそうです。ちなみに、日本海海戦100周年記念祝宴で戸高さんにお会いした際に同じ質問をしたところ、「存在はしたけど実際は使われなかった」と仰っていました。詳細については「日本海海戦 かく勝てり」(半藤一利/戸高一成)、「日本海海戦の真実」(野村實)などの関連書籍を参照してください。