子規、虚子、碧悟桐
〜師弟3人の交流〜

坂の上の雲 > 文学 > 子規、虚子、碧悟桐





子規との出会いは「野球」

 虚子と子規との出会いは、第一巻「ほととぎす」で描かれているように野球がきっかけである。さらに、碧梧桐と子規との出会いのきっかけも野球であった。明治二十三年、碧梧桐は上京していた兄から「ベースボールという面白い遊びを帰省した正岡に聞け。球とバットを依託したから」という手紙を受け取った。碧梧桐はさっそく子規のもとへ行き、野球を習い始めた。後に碧梧桐は「球がこう来た時にはこうする、低く来た時にはこうする、と物理学見たような野球初歩の第一リーズンの説明をされたのが、恐らく子規と私とが、話らしい対応をした最初であったであろう。」と著書「子規を語る」で回顧している。


"師"としての子規

 子規から後継者として期待されていた虚子であったが、明治28年に道灌山の茶屋で「学問をする気はない」と言い、「お前を自分の後継者として強うることは今日限り止める」と失望させたこともあった。この時「今後お前に対する忠告の権利も義務もないものになった」と言い放った子規であったが、その後もその事は忘れたかのように虚子への苦言を惜しまなかった。また、子規は碧梧桐、飄亭、紅緑、鼠骨、時としては鳴雪に対しても直接的、間接的に様々な忠告を試みることを忘れなかったという。後に虚子は、著書「子規居士と余」の中で次のように述べている。

「人の師となり親分となる上に是非欠くことの出来ぬ一要素は弟子なり子分なりに対する執着であることを考えずにはいられぬのである。(中略) 弟子や子分は気儘である、浮気である。決して師匠や親分が思っている半分の事も思っていやしない。その弟子や子分の思い遣りのない我儘な仕打ちに腹を立てて一々それに愛想を尽かしていた日には一人は愚か半人の弟子もその膝下に引きつけておくことは出来ないのである。為すある師匠、為すある親分はその点に於いて執着 − 愛 − を持っておる。たとい弟子や子分の方から逃れようとしても容易にそれを逃がしはしない。母が愛が子を抱きしめるようにその一種の執着力はじっと弟子や子分を抱きしめていて、たといもがき逃れようとしても容易にそれを手放しはしない。そういう点に於いて子規居士は執着 − 愛 − を持っていた。たとい門下生同士で互いに他の悪口を言って、何故あんなものを膝下によせつけるのかという風にそれを排擠(はいせい)することがあるとしても、またそういう人間が自分から遠ざかろうとしても、居士は仮にも自分の門下生となったものは一人も半人もこれを手放すに忍びなかったようである。これは子規の愛が深かったともいえる」

 虚子と碧梧桐は正式入門する前の松山時代から、子規との手紙のやり取りを通して様々な忠告、苦言を受けていた。退学問題や小説の質の悪さを厳しく叱責され、碧虚二人で落胆し、お互いに励ましあったことさえあったが、それでも子規はこの二人を見捨てることはなかった。そんな師を偲びながら、虚子は昭和16年の子規忌で次のような句を詠んでいる。

  老いて尚君を宗とする子規忌かな




< 続 く >