子規の写生観

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 子規が自ら提唱していた「写生」についてどのように考えていたのか、ここではそれが書かれている個所を彼の随筆から抜粋して紹介していく。



 いはんや写生ならずして好画を作(な)すこと極めて難きをや。日本画家曰く写生は卑しき手段なり、理想の高きに如(し)かずと。この言を為す者多くは写生を知らざる者なり。絵画の能事は写生を以て終わる者に非ることを論を俟(ま)たずといへども、高尚なる理想は写生によらざれば成功すること難かるべし。

(松蘿玉液 明治二十九年九月十一日)


 病牀で絵の写生の稽古するには、モデルにする者はそこらにある小い器か、さうでなければいけ花か盆栽の花か位で外に仕方がない。その範囲内で花や草を画いて喜んで居ると、ある時不折(ふせつ)の話に、一つの草や二つ三つの花などを画いて絵にするには実物より大きい位に画かなくては引き立たぬ、といふ事を聞いて嬉しくてたまらなかった。俳句を作る者は殊に味ふべき教である。

(墨汁一滴 明治三十四年五月一日)


 写生といふ事は、画を画くにも、記事文を書く上にも極めて必要なもので、この手段によらなくては画も記事文も全く出来ないといふてもよい位である。(中略)画の上にも詩歌の上にも、理想といふ事を称(とな)へる人が少くないが、それらは写生の味を知らない人であつて、写生といふことを非常に浅薄(せんぱく)な事として排斥するのであるが、その実、理想の方がよほど浅薄であつて、とても写生の趣味の変化多きには及ばぬ事である。理想の作が必ず悪いといふわけではないが、普通に理想として顕(あらわ)れる作には、悪いのが多いといふのが事実である。理想といふ事は人間の考を表はすのであるから、その人間が非常な奇才でない以上は、到底類似と腕腐を免れぬやうになるのは必然である。(中略)これに反して写生といふ事は、天然を写すのであるから、天然の趣味が変化して居るだけそれだけ、写生文写生画の趣味も変化し得るのである。写生の作を見ると、一寸浅薄のやうに見えても、深く味へば味はふ程変化が多く興味が深い。写生の弊害を言へば、勿論いろいろの弊害もあるであらうけれど、今日実際に当てはめて見ても、理想の弊害ほど甚しくないやうに思ふ。理想といふやつは一呼吸に屋根の上に飛ひ上らうとして却て池の中に落ち込むやうな事が多い。写生は平淡である代りに、さる仕損ひは無いのである。さうして平淡の中に至味を寓するものに至つては、その妙実に言ふべからざるものがある。

(病牀六尺 明治三十五年六月二十六日)


 この頃「ホトトギス」などへ載せてある写生的の小品文を見るに、今少し糟密に叙したらよからうと思ふ処をさらさらと書き流してしまふたために興味索然(さくぜん)としたのが多いやうに思ふ。目的がその事を写すにある以上は仮令(たとえ)うるさいまでも精密にかかねば、読者には合点が行き難い。実地に臨んだ自分には、こんな事は書かないでもよからうと思ふ事が多いけれど、それを外の人に見せると、そこを略したために意味が通ぜぬやうな事はいくらもある。人に見せる為に書く文章ならば、どこまでも人にわかるやうに書かなくてはならぬ事はいふまでもない。あるいは余り文章が長くなることを憂へて短くするとならば、それは外の処をいくらでも端折って書くは可(よ)いが、肝腎な目的物を写す処は何処迄も精密にかかねば両白くない。さうしてまたその目的物を写すのには、自分の経験をそのまま客観的に写さなければならぬといふ事も前にしばしば論じた事がある。しかるに写生的に書かうと思ひながらかへってて概念的の記事文を書く人がある。これは無論面白くない。

(病牀六尺 明治三十五年六月二十八日)


 草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造花の秘密が段々分って来るような気がする。

(病牀六尺 明治三十五年八月七日)


 ある絵具とある絵具とを合せて草花を画く、それでもまだ思うような色が出ないとまた他の絵具をなすってみる。同じ赤い色でも少しずつの色の違いで趣きが違って来る。いろいろに工夫して少しくすんだ赤とか、少し黄色味を帯びた赤とかいうものを出すのが写生の一つの楽みである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽んで居るのであろうか。

(病牀六尺 明治三十五年八月九日)