教育識見

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 将軍は武将として卓越せる軍事的識見を有していたことは既に述べた通りであるが、教育家としてもまた高邁なる教育的識見を有していた。それを立証するものは、大正十四年十月、北豫中学会専務理事秋山好古の名に依って出した「北豫中学校の基本金十五万円の募集理由書」※補足1である。尤もこの募金は折柄の財界不況の事情に依り、今はその時機にあらずとなし、学会自らこれを撤回して実行はしなかった。
 この募集理由書は将軍自ら筆を執って起草したものであって、実に将軍の教育に対する大見識と、私学に対する徹底的の大抱負を明らかにしたものである。これ通常教育課のよく言い得ざるところ、また一介武弁のよく考えざるところ、将軍の偉大なる事を雄弁に物語るもので、その全文は左の如くである。

 「現時、我国に於ける教育界の状況は、欧米諸国と聊(いささ)か趣を異にするものあり。元来文明国の国民は自己生活の安定を最も重視するを以て、中等以上の教育を受くるものは、その生計富裕にして、生活等に困難せざるもの多きを占む。故に我の如く学校卒業を以て、唯一の求職条件として、中学、高等学校、大学等に志望するもの比較的少なしとす。現時、我国に於ける状況は、戦時好況時代一時多くの収入ありしを以て、無資産階級の子弟に至るまで、前途の考慮なく中学に入るものあり。為に中途にしてその学業を廃止するの止むを得ざるもの尠からず。それ中学を経て高等学校に入り、更に大学に入りてその業を卒るまでには、十余年の歳月と一万に垂るとする学資とを要しその卒業後と雖も、当初は就職するも百円内外の俸給を得るに過ぎずして、時としては就職難に陥るものも尠からず。これ計数に長じ、生活の安定を重要視する文明国民の為さざる所なり。将来我国に於いても、中等以上の教育は、中産階級以上のものの子弟を収容するに至らんこと、蓋し勢の止むを得ざる所なるべし。 既往に於いて我国は、官権官学の力極めて強大にして、官私の区別甚だしかりしも、今日は官民等の区別を為す可きものに非ずして、国民一団となり、時々相更送して国政、県政、市町村政を行うに至れるなり。従って教育に関しても、官私の区別は漸時薄弱となるに至らん。これを概観するに、我国に於ける中等以上の教育は、自家の安定を顧みずして、教育に依りて将来の生活を求めんとするもの多く、欧米国民は自家生活の安定を確立したる後、能く資力、脳力、体力を精密に考慮し、高上せる教育に依り、自己の生活、並びに品位の向上を計り、更に進んで国家社会の公益に力を尽くすもの多し。
 我国も将来欧米文明諸国の如く義務教育期限を延長し、その教育を充実し、普通選挙を実施し、国民全般をして国政に参与せしむる機運に際会せば、普通教育に要する経費は、極めて多額にして、中等以上の教育は、欧米諸国の如く私立学校の力を要するもの多きに至るべし。その理由は中等程度以上の学校は、元来義務に付属するものに非ずして、志願に依り多くは中産階級以上の子弟の入学するものなれば、国民全般の負担に属する国費を以て、悉くこれを支弁せんとするは事情の許さざるものあるを以てなり。故に中等教育以上の諸学校は、欧米諸国に於いては、貴族、富豪、その他中産階級以上の有志の寄付金に依り、設立せるもの多し。例えば英国に於ける、イートン、ハロー等の中学の如きは、私立なれども中学校としてその設備完全にして、良教師多く校風大いに振起し、その名声は世界に重きを為し、英国の名士はこの両中学校より出るもの多くして、殆ど英国の文化、否、世界の文明を両校生徒にて負担する気概あり。
 欧米諸国に於ける宗教家の設立に係る中学校並びに高等学校女学校にも、極めて優良なるものありて自国の文明に貢献すること大なるのみならず、進んで世界諸国、現に我国に至るまでも中学校、女学校を設立し、その文化を補助せんとするの熱心は驚嘆に堪えざるものあり。要するに将来に於ける優秀なる進歩発展を期せんには、完全なる私立中等教育は極めて重要にして、仮令(たとえ)、今、遽(すみやか)に欧米のそれの如く発達せしむる能はずと雖も特に国費を要せずして、貴族、富豪、その他中産階級者の寄付と授業料の増額に依り、その目的を達するの止むを得ざるの機運に至るべし。
 現時我国に於ける官吏軍人等はその退職するや、僅少の恩給に依りて生活し、無為徒食に陥るもの多し、欧米の国民は概してかかる生活を忌み、たとえ大臣その他の重職にありて、資産に余裕あるものと雖も、一朝職を退けば、弁護士となり、新聞記者となり、会社員となり、あるいは教育に、著述に、あるいは自家の経営せる各種の商業、工業、農業などに従事し、職業に貴賤なしとの観念を以て、その豊富なる智嚢を各方面に進展せしむるを以て、国家の繁栄を助くること極めて大なりとす。特に私立の中学、大学校にありては、嘗て大臣たりしもの、大学総長もしくは教授たりしもの、その他知名の人士にして閑職にあるものは、皆喜んで貴重なる教職に従事す。これ私立学校に優良なる教師の極めて多き所以なり。
 我県下に於いても、一の優良完全なる私立中学は、将来我県民の益々発展隆昌企図する為に、愈々必要を感ずるに至るのみならず、欧米文明国の状況は基より我国最近に於ける私学尊重の思潮等より推考するも、必ずやその成功を期し得べきものと信ず(以下略)」※補足2

 右の意見に於いて、将軍は私立学校を重視し、それに多くの期待を繋いでいるが、この意見は将軍の宿望であって、今遽(にわか)に抱いた意見ではなかった。大正八、九年の頃、北豫中学校を県立に移管するとの説が、頗る優勢になって来た。県知事はじめ県当局も、学校が移管を希望するならば、県に於いてこれを引受けてもよいとの意向を漏らしたため、学校の内外に於いても、この機会に県立に移すに若かず、何を苦しんで経営困難なる私学を維持する必要あらんや、との説が段々と有力になって来た。
 それにまた松山出身の山路海軍中将(一善)の如きは、わざわざ帰松して、これを勧説した。即ち私立学校は到底官立学校に若かず、官立はその設備も充実して、信用また高きに反し、私立は経済困難にして、その信用また官立に及ばざるより、生徒及び父兄も官立を希望するは勿論なるを以て、県当局が移管を承諾する以上、速やかに北豫中学校を県立に引移すべしというのであった。
 ここに於いてか学校理事者も頗るその取捨判断に苦しみ、加藤恒忠氏に相談したところ、加藤氏は元来私立維持論者であったが、県立移管論にもまた尤もの理由があるので、無下にこれを排し難いので、この上は秋山大将の意見に依って決定しようということになり、これを将軍に諮ったのである。
 然るに将軍の答えは、頗る明瞭簡単であった。
「私立でやって行けるものならば、私立でやろうぢゃないか」
 将軍のこの一言で、一切は決定し、北豫中学校の県立移管は取止めることになったのである。即ち将軍は、現役当時から斯くの如く私立学校に対して、確たる信念を有していたのであった。

 将軍は校長として生徒に対し、学期の始業式あるいは終業式に於いてはいつも親ら訓話をなしたが、その中で特に記すべきことは、我国の産業、就中農業、牧畜業を重視し、我国の社会問題中難問題たる人口問題、食糧問題等を解く鍵は、正にここにありと考え、生徒に対し熱心に農業、牧畜業を鼓吹したのである。即ちその要領を摘記すれば左の如くである。

「一家の家業は一家生活の基礎たるものなれば、平素は固より、特に夏季休暇中に於いては、全力を尽くしてこれを幇助する事、特に必要なりとす。我国民は既往封建時代の弊風なお存し、一家生活の基礎を絶えず動揺せしむるもの尠からず、深く注意せざるべからず
 諸子が歴史上熟知せらるる如く、丁抹は欧州に於ける最も旧国なるが周囲の諸強国と隙を構え、五六十年前殆ど我北海道の半に過ぎざる小国となり、国内には荒蕪地多く、農産物は、露国や米国の穀物に圧倒せられ、国民は餓死するより他に道なき状況に立ち至りしが、愛国の士族出して、盛んに農業を改良し、販売、購買の極めて完全なる組合制度を設け、この五十余年間に比較的世界に於ける、最も幸福なる国民となれり。
 今日丁抹人の一戸には平均馬二頭、牛三四頭、豚五六頭、鶏三十羽位ありて、盛んに農作物の外、牛乳、牛酪、ハム、鶏卵等を国外に輸出し、一戸平均生活費を除き、約三千円以上の金額を国外に輸出し、農業国民として世界に模範たるに至れり。特に面白きは、小学児童が、朝四時より起きて鶏の飼育に従事し、その卵を学校に持ち来りこれを小学校に集め、販売所に送り、授業料、学用品、その他の生活費に供するの状況にして、丁抹にては、殆ど老幼婦女を問わず、一家挙って生産に従事し、小学卒業後は三年間は家事に従事し、十七歳に至れば冬季(十二月より四月まで五ヶ月間)農閑期国民高等学校に入り、主として本国の歴史、その他に於いて精神教育を受け、その他は殆ど自学自習して生産の傍ら修養し、専門学校もしくは大学に入るの状況なり。
 以上の状況なるを以って、丁抹人は一家の生活極めて安定し、譬え一家の主人を亡うも、我国の如く、生活の激変を来すことなしとす。
 なお、勤労を重んずるの美風を養成することは、貴賤貧富を論ぜず、今後益々その必要を減ずるに至れり。諸子は家にありては、率先して勤労に従事し、その美風を益々涵養せられんことを望む」

「余も例に依り本年も北海道に赴き、牧畜、農業に従事せしが、北海道は年々に著しき発達を来し、殆ど人口も三百万、米も三百万石を産するに至れり。
 将来その人口は、一千万以上に、米も千万石を産するに至る可し。我国の人口問題、食糧問題に関し憂慮するもの多しと雖も、毫も悲観するに足らず。国民挙って勤勉努力すれば、前途少しも憂うるに足らざるなり。
 余の従事せる牧畜業の如き年々発達し、牛馬羊豚の如きも非常の発育をなし、国内に於ける牧畜は、北海道が最高位に達せんとする状態なり。譬えば、牛乳の如きは一銭五厘に過ぎざるも、都市に於いては五銭及至十銭なりとす。故に牛乳を原料とするバター・チーズ・コンデンスミルク(練乳)の如きは、将来北海道に於いて多産するに至るならんと察せり。
 もし将来北海道が丁抹の如く発達せしならば、数十億の輸出をなし得るに至らんと察する次第なり。
 敗戦国たる独逸国民は至大の国難に遭遇せしに拘らず、鋭意勤勉、科学の研究に間断なく力を尽くし、ツェッペリン飛行船の完成に努力し、三週間を出でずして世界一周に成功し、全世界を驚歎せしめたり。
 我国民は絶えず世界の長を取ると同時に、創造に勗めざるべからず。
 諸子は、今後益々品性の修養と人格の向上とを計り、体力を強健にし、鋭意学術の研究に励み、将来の大成を期せざるべからず」
 また将軍は慈父の我子を諭す如くに、健康に就いて、修養に就いて、また思想問題に就いて、諄々として説いたが、而もそれは常に国家社会の高所対局より観察したものであって、普通教育者の考え及ばざるところであった。

 「近似に於ける運動競技は、益々発達すると同時に、益々向上して来り、単に体育のみならず、教育、知育をも兼ね備うるに至れり。特に競技を以て国際的の親密を増加し、各国民の品位を代表するに至れり。諸子は能く練習を積み、正々堂々勝敗を決し、如何なる場合にも、冷静沈着、断じて狼狽することなきを要す。特に礼儀を重んじ、規律、節制を遵守し、確乎たる決心を以て事に当たり暴飲、暴食、飲酒、喫煙等の弊風に感染することなく、選手として、その品位を向上することに努力せられんことを望む。
 徳に留意を要するは、地方に於ける風俗の良好ならざることこれなり。花柳病、トラホーム、胃腸病等のため、高等その他の専門学校、陸海軍諸学校などに於いて、身体検査のため、不合格となりしもの尠からず。要するに我地方に於ける学生全般の風儀は未だ良好なりと認むる能はず。諸子は常にその弊風に陥らざる如く、絶えず戒心を加えざる可らず。
 特に夏季海水浴場には、本校より監督職員を派遣しありと雖も梅津寺浴場の如きは各種の男女の混入するを以て特に注意せざるべからず。(中略)我国民は、なお早婚の弊ありて、極めて多産するも、生活安定せずして、可憐の児童に栄養不足し、特に不品行に原因する悪疾の遺伝に基づく疾病、児童におおくして早死するもの尠からずとす。
 人口の増加は、必ずしも患うるに足らざるも、国民体力上の素質、実力を良好ならしむるに深く留意せざる可からず。」

「校則を遵守し国法に服従するは極めて重要の問題にして、不祥事件の頻発するは、多くは校則や国法を遵守せざるに基因するもの多しとす。我国に於ける中等学校生徒間に於ける同盟休校、カンニング、喫煙、飲酒、甚だしきは文房具店、書籍店に於いて万引きをなすが如きものあるは、我教育界に取りて、甚だしき汚点なり。深く注意せざる可からず。本校生徒は、世界思想界に如何なる動揺あるも、また社会の風俗如何に堕落するも、歴代の聖訓(教育勅語、戊申詔書、国民精神作興に関する詔書)等を恪遵し、正義の旗を立てて、前途に向かい邁進せられんことを希望する次第なり」

「諸子の修養に関しては時機を得る毎に絶えず訓示をする所なれども、重複を厭わず、さらに諸子に訓話する所あらんとす。
 一、本校生徒は正義を愛し、仁愛を重んじ、独立自治、自労自活の精神を絶えず発揮すべし。
 二、質実剛健にして勤倹力行の美風を常に涵養すべし。
 三、秩序を尊び、節制を重んじ、困難の局所に立ちて益々勇往邁進すべし。
 四、自学自習を尊重し、実学に志し、実行を重んじ、実力を養成し、邦家社会のため実益を挙ぐるに勉むべし。
 五、世界の競争場裏に立って国運の振興を計らんには、国家の中堅たるべき中学生の力に待つもの多し。諸子は協同の精神を充実し鋭意学術の研究に従事し、世界の模範国民たるを期すべし」
 以上は始業式、終業式あるいは記念式の諸訓話中より摘記したものであるが、これを見ても将軍の教育上の理想及び見識が、ほぼ察知されるであろう。

 また将軍は自ら上級の修身科を担当し、常に質実剛健、自主自立の精神を高調し、殊に忠君愛国の徳行を奨め、躬を以て範を垂れた。
 満州、朝鮮への発展策は、将軍の持論であったが、校長となるや、上級生徒の修学旅行は朝鮮平城地方へまでも延進せしめ、以てその見聞を広め、また朝鮮に就いての関心を深めしめた。そして常に言っていた。
「校長は既に老いて、余命幾何もないのぢゃ。もし斃れたら、諸子は我屍を越えて奮進せよ」
時に熱誠溢れ、声涙共に下るの慨があった。



※補足1:「募集理由書」
 好古は亡くなる直前、「お父さん、何かお申し置きになることはありませんか」という娘の問いに対して「ない」と即答したように、遺言のようなものを残していない。しかし、井上要はこの募集理由書こそ「大将の平生の蘊蓄(うんちく)を傾倒し、私学に関する全精神を集結したもので、今日よりこれを見ればこれが遺言でなくて何であろう。この遺言書にいわゆる独立不覇の精神、堅忍不抜の気風、秩序節制、自由と責任の尊重、人格ある青年の養成を、本校教育の全精神とし、私学たるが故に良教師あるが故に良生徒を得べきことを信条とし、これがためには本校自ら経済の独立を計ることを要すると、その期待を示されている」と「北豫中学松山高商楽屋ばなし」で述べている。

※補足2:(以下略)
 さらに続けて「本校が独立不覇の精神と堅忍不抜の気風を養い、、秩序節制を尊重し、自由を尊び責任を重んじ、高尚なる人格を有する活動的青年を養成せんとするには本校自ら経済の独立を計るを要す」と述べている。この見解について井上要は「北豫中学松山高商楽屋ばなし」の中で、「これ実に本校の主義校訓であるばかりでなく、真に青年の指導の原理である。元来先生は他の軍人若くは教育家の官学万能説に反し、教育に就ては始めより独自の主義と信念を有し、殊に徹底的の私学観を包蔵したるものにて、その鋒鋩の一端をたまたまこの理由書に露わしたものであろう。而して躬を以て之を実行し、終始変ることなかりしは、流石に先生にあらざれば誰も出来ぬところである。先生が始めより北中を賛助し、その県立移管を排斥したのもこれがためである。その権威ある位置を以て、一中学の校長に甘じたるもこれがためである。しかのみならず先生自身の長男次男ともに特に私学慶應大学に入学せしめ、官学帝大に入学せしめなかったのもまた蓋しこの信念を実行したものであろう。主義一貫、言行一致、実に大将先生の大将先生たる所以である」と評している。