秋山好古 言行録

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教育、学習

部下に研究を命ずるには、自分が先ず研究を遂げた上でなければいけない。

 陸軍乗馬学校長時代の教育方針。部下将校に課題作業を命ずる場合には、まず好古自らが研究を行い、その手段、方法、着眼点、参考書などを教示したうえで着手させた。


進取力と忍耐力とは修学上の二大要素にして、且つ成功の基礎なり。

 常磐会監督に就任した際の訓示。気力を旺盛にして如何なる困難にも屈せず、寧ろ難事との遭遇を一世の快事となすよう述べている。


自ら進みて自ら学ぶの勇気なかるべからず。

 常磐会監督に就任した際の訓示。教育方法の完全無欠を期待することは難しいので、単に教師の講義だけで終わりとするのは誤りであると述べている。


英雄なるものは細事を知らざるにあらず、ただ知って言わざること多し、故に緊急の場合には、言細事に及んで寸毫の過失もこれを矯正するを常とす。

 常磐会監督に就任した際の訓示。世間では大胆で細事にこだわらない英雄を賞賛する傾向があるが、本当の英雄は細事まで知り尽くしているものであるから学術研究も密にすべきだ、と述べた。

人生について

邪心を去れ。

 白河義則に隊長としての心得を尋ねられた際に答えた言葉。好古は隊長として部下と接する時だけでなく、人間として社会に接する時も邪心も私心も挟まなかった。


無欠勤、無借金、無不平。

 好古は処世訓として「三無主義」を説いていた。無欠勤:好古は現役時代だけでなく、退役後の校長時代も無遅刻、無欠勤であった。無借金:質素な生活を営み、自分の家すら建てなかった好古は借金をする必要さえなかった。無不平:部下に対しては常々「人間に不平不満のない者はない。だが軍紀を重んじる軍人は決して不平を言ってはならない」と諭すと共に、自らも不平不満を口にすることはなかった。


困難には進んであたれ。

 騎兵第一大隊長時代、各内務班の兵室に掲示した心得の一つ。好古自身も終始一貫、全生涯を通じてこれを実践した。


人間として、殊に軍人としては、常に腹を切るだけの覚悟は持っていなければならぬ。しかし実際に腹を切ってしまっては、実も花もなくなってしまう。そこをじっと忍耐する。そうした極致を幾度となく繰り返して行くとき、人間の修養も向上できるのである。

 当時中隊長であった永沼が演習で大失態を演じた際、好古が上記のように諭した。後に永沼は当時のことを追想し、「私本当の軍人としての魂の持ち方を知ったのは、実に秋山将軍のおかげである」と述懐している。


人生最大の不幸に遭遇せざれば最大の幸福を得る能はず。能く働く者は健康なり。虚栄は身を誤るものなり。常に我が身は広き世界に於ける最大不幸者とあきらめ居れば、何事も恐るるに足るものなし。

 師団長として満州駐在中に、留守宅の娘達に宛てた手紙の一文。子供達には常々「人間は苦しみと戦わないと偉い人にはなれないよ。苦を楽しみとする心懸けが大切ぢゃ」と語っていた。


人間は一生働くものだ。死ぬまで働け。

 好古は退役後も亡くなる直前まで中学校長を務め、文字通り一生働き続けた。部下や後輩に対しても「仕事は探せばいくらでもある。何でもよいから働け」と言っていたという。

対人関係

如何なる人にでも事えることの出来る者でなければ、如何なる人をも使うことはできぬものぢゃ。

 安東中佐が反抗的行為のあった部下の某将校の処置に就いて、好古に訴え出たことがあった。その際、安東中佐とその将校とを呼んで二人に言った言葉である。いかに難しい性格の人にでも、誠意を以て服従する心懸けのある者でなければ、自分が統御の地位に立った場合、今度は難しい性格の人を服従させることは出来ない、という意味である。


余り平時から、上の方で兎や角指図すると、肝心の戦場に出ても、隊長は自分のなすべきことを、一々上の方に伺い出て、独断の気勢を鈍らすことになる。

 某連隊の一歩兵曹長が経理上の法規違反で問題を起こした。この対処について軍の経理部長と法官部長との間で意見が対立したため、連隊長はその執るべき処置について好古に伺い出た。すると好古は両部長を呼び、「隊長に委せておけ」とだけ言ってこの問題を片付けてしまった。


参謀の要務は円転滑脱上下の間に於ける油となり、有終の成功を期するにあり。功名を断じて顕わすことなかれ。

 日露戦争当初、連合艦隊参謀となった真之に送った書面の一文。真之はこの教えをよく守り、戦後も自らの功績を誇ることはなかった。


少しくらい見識があったとて、威張りくさって、上に対して頭を下げることを知らなかったら出世はできない。

 中学校長時代、植岡少将から「閣下はよく禿げましたね。どうしてそんなに禿げたんですか」と尋ねられた好古は怒ることもなく「俺が今の地位を得るまでの苦労は並大抵のことではなかったんだ。その間に俺は何千回、何万回となく頭を下げてきたから、とうとうこのように禿げてしまったのじゃ」と半ば冗談で答えるとともに、上記のように頭を下げることの大切さを語った。


喧嘩は双方の意志が通ぜぬためであるから、喧嘩をしても交際は続けねばならぬ。その人と交際している間に、双方のことが分かってくるものである。故にどれほど喧嘩をしても、その喧嘩をした人を訪ねて行き、交際を絶たぬようにしなければならぬ。

 現役時代に松山同郷会の会合で話したこと。真之はこの教えをよく守り、日清戦争中の宴会で仁礼景一と大喧嘩となり前歯を折られたにもかかわらず、翌日には自ら仁礼のもとを訪れて仲直りを申し出た。


勝負には細心の注意を要す。細心に準備し実行には大胆なれ。また小敵と雖も侮らず、大敵と雖も恐れず、の心持ちを忘れるな。油断すれば敗るべし。

 校長時代、競技選手に対する訓示の一文。好古は学校での軍事教練には消極的でこれを最低限に止める一方、運動競技を奨励し陸上競技部や水泳部の新設、運動施設の拡充を行った。