舷々相摩す

坂の上の雲 > 資料 > 舷々相摩す

舷々相摩す

 戦前の真之の伝記や海軍関係者の座談会では、「舷々相摩す」という言葉が真之の名文の代表例として紹介されている。その本文は、戦報の一節と思われる。


旅順口方面の戦報(三月十二日)

 連合艦隊は予定の如く行動して更に昨十日旅順口の敵を攻撃せり。駆逐隊の二隊は同日午前零時旅順口港外に達し、港外を捜索して敵なきを認め天明まで港外に留まりて乙駆逐隊は各所に特種の機械水雷を沈置せしが、敵の要塞は之に対し時々砲撃したるも我駆逐隊は無事其目的を達するを得たり。然るに午前四時三十分、甲駆逐隊は老鉄山の南方に於て約六隻より成る敵の駆逐隊に会し、近距離に於て約二十分間激戦し、朝潮、霞、暁の三艦は敵の諸艦と殆ど舷々相摩せんとするが如く接戦し、・・・・(以下省略)

※「日露戦史大全(上巻)」(博信館 宮部力次)より