世界大乱の将来

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 世界大乱の前駆とも謂うべき欧州の大戦は、最早その絶頂を過ぎ、その主動者たる独逸も未だ虚勢を張って居るものの、その内部の窮状はすでに昨年の夏頃より漸く暴露し来り。人力に資力にまた金力に、何れの方面より打算しても、終にその屈服に帰するは疑いを容れざることで、連合盟国の結合が破れざる限り、この大戦の終局は本年秋冬と見込んで大差無かろう。

 然るに、世にはただ戦場における勝敗の跡のみを見て、往々に「独逸は今日まで勝ち続けて少しも負けては居らぬのではないか、未だ中々強くて弱みは見せんではないか」と云う者もあるけれども、その勝っている処に負け色が現われ、強そうな点に弱みが見えるのである。そもそも独逸としてこの戦争に勝ちを制し得る唯一の要訣は、その多年準備して置きたる陸軍武力を以て、対敵国の戦備整わざるに乗じ、短日月に決勝を贏《か》ち得ることで、もし敵に持久の猶予を与えたなれば、如何に強くとも到底終局の勝味はないのである。もとより独逸自身もこの要訣はよく心得て居ったから、当初より迅速急撃の戦策に出て、先ず疾風の勢いを以て、西の方の白耳義《ベルギー》を強過して仏国を衝いたのである。今日より考えれば、無理に白耳義の中立を侵して、初めから英国を立たしめるような危険を踏まず、寧ろ西方を抑えておいて、当時未だ戦備上の欠陥多かりし露国に対し、真先に大打撃を加えた方が遙に得策であったのである。然し、これは独逸の予定作戦計画上臨機の変更が出来なかったものとして問わず、開戦後未だ二ヶ月経たぬ間に、すでに巴里《パリ》の間近まで攻め入り、将に西方の戦勢を定め得る大切なる時機に、東普魯西《ひがしプロシア》の一隅を顧慮し、乾坤一擲のこの戦場より八個師団を割きて当方に急派したのは何たる拙ぞ。為に彼の「マルヌ」当初の敗退を来したので、もし単に兵理上より観察せば、この「マルヌ」の敗戦は独軍最初の失敗にして、しかもその最期の失敗とも謂うべく、これがため、西方戦線は今日までの持久戦勢を形成し、敵国に戦備の時日を与えると共に、自らその短期作戦の長所を全然亡失したる結果となり、他に欠陥なしとしても、ここに独逸の大事はすでに去れりと見らるるのである。

 その後交戦半年を越え、一昨年の夏に至り、東の方露国に向かい、その戦備なお未だ充実せざるに乗じて、予期以上の成功を収め、当時思い切って、更に押し通したならば、或は「ペトログラード」まで侵入され得たものを、これもまた冬季の来るを期として、交戦を中絶し、更にその兵力を南方に割いて塞耳亞《セルビア》に転戦した。これより先、土耳古《トルコ》を味方に入れ、勃牙利《ブルガリ》も加盟せんとするに至ったのであるから、この南方作戦は、一寸見ると時宜を得たようであるが、矢張りこれが余計な事である。戦争の目的を達成するには出来得るだけ単調にして迅速に敵の主力を撃滅し得べき手段を選ぶのが原則で独逸の兵書にも、その通り教えてある。然るに独逸作戦計画者の今度の遣り口は、各方面に気が多すぎて、作戦目的の主従を混同したり、或は政略と戦略と分別なきような、原則違反を屡々して居る。もとより土耳古や勃牙利を味方にすれば、多少の物資の融通も付き、敵軍の兵力の牽制も出来るが、何れも貧弱な小国で、兵器も供給し資金も貸与した上に、相当の援護軍隊をも付けて遣らねばならぬ、結局は独逸自身の重荷を増すものである。のみならず、斯く此処彼処《ここかしこ》と戦線を広げ過ぎるから、徒に時日を延長して、兵力も足らなくなり、何れの方面も攻勢を執るべき余力を欠き、国内は益々物資の窮乏を告げ、当初勝味に出て、進み過ぎただけそれだけ、今日はその収拾整理に困難する訳である。かの「ヴェルダン」の難攻に数十万の精鋭を犠牲とし、半年以上を費やして、これを抜く能はず、戦略上より見れば早く見切りを付けねばならぬものを、募債増税案などを通過せしむべき対内政略のために、是非ともその成功に執着したるが如き、或は潜航艇を乱用して中立国の商船を脅迫し、以て講話を促進せしめんとする対外政略を試みるが如き、窮余やむを得ずとは云いながら、政略上の目的は少しも達せられず、却って内は人心の乖離を来たし、外は中立国の悪感を増したるのみで、主眼の戦略上には損する処多くて、何ら益する処なき拙劣の極である。而してこれ皆当初の「マルヌ」の敗戦に持久戦勢を形成したるより生ぜる当然の因果で、自分が独逸は勝ってるようで負けてる、強いようで弱いと云うたのもここにあるのである。況《いわん》や、戦争の大局を支配する海上は、殆ど凡て連合国の海軍に掌握せされて、包囲封鎖の裡に孤立し、何を頼りにこの非勢を転回し得らるべきか。砂まで喰えば、未だ二三年の継続も出来ようが、窮乏とは食物皆無の意味ではなく、その配給の不足に対し、辛抱の気綱が切れる時を謂うのである。もしこのままに推し行けば、独逸の屈服は最早一年を出でず、本年九月頃には、今の「カイゼル」が世に居らねば、或は次の「カイゼル」が降伏状に調印するようなことになるだろう(尤もこれを国民が承服するかせぬかは知らんが)。
 さりながら、この戦国の世の中に、余りに先を見越して楽観するのは大禁物である。凡そ乱世には、棚から牡丹餅が落ち来るような事もあれば、また脚下から鳥が立つこともあるもので、元亀天正頃の我国の昔を見ても、天下を呑んで上洛しかけた義元が、脆くも桶狭間で首を失い、西の方高松城を攻める秀吉が後に本能寺の変を聞くような予期し難き局面形勢の急変は有り勝ちのものである。さなぎだに、斯く荒び来りたる世界人心の変調は、二年や三年で容易に復旧するものでなく、内に外に荒びて過乱に襲ぐに過乱を以てするのが、古来人類の歴史に実証せる処で、現下の暴魔と目せらるる独逸の近く屈服するとしても、これはただ欧州の戦局に一段落を付けるだけで開闢《かいびゃく》以来未曾有のこの世界の大乱がこれで終息するものとは思われないのである。本来この大乱が何から起こったかと云えば、その近因は人生為楽を忘却して、物的生存競争のみに没頭し、その罪障が積もり積もって、この大過乱を鬱成したのであるから、まだまだこれしきの流血で、青天白日を見る訳には行くまい。かの不徹底な自我主義や個人本位、或は間違った民主思想や群集心理などが、世に蔓《はびこ》ってそれから生みだした文物や制度が人生を司配する間は、主義思想その物がすでに闘争を起こさずには熄まず、物的偏長に伴って湧き出でたる、無意無心の機械兵器までが、今日宛も一種の霊力を得たかの如く、相競って人を傷つけ物を破らねば承知せぬのである。もとより、世の中は十人十色であらねばならぬと云う訳のものではなく、黒も白も、赤も緑も、皆これ浮世の綾、各色の調和その宜しきを得ば、真に綺麗なもので、笛も太鼓も調子を合わせば、面白き音楽となるが、黒も白も、笛も太鼓も、自己本位に我儘を振る舞い、銘々勝手に吹いたり叩いたりしては見られも聞かれもしたものではない。乱世とは即ちこの節制と調和を失いたるものの謂いで、大本の心的統一がなければ、晩かれ早かれ、終にはここに至るべきものである。而してこの紛争の変象を目して、生存競争とか優勝劣敗とか、適者生存などと理屈を付けるけれども、その実これを唱えた古人にも、何が生やら死やら何が優だか劣だか、少しも分かって居らぬのである。
 斯く乱れ来りては、少数の賢者や君子の教戒も指導も最早寸効だに無く、さればとて、誓紙も証文も当てにはならず、況《ま》して義理や人情に頼らるるものではない。ただこれに処するには、先ず自ら己を統一して同心一体ならしめ、而して、鋭意専心自彊《じきょう》の道を講じ、今日の友明日の敵となるも差し支えなきだけの実力を保全し、常に自ら正を踏んで他の覇気に与せず、内に満を持して外の機変に応ずるの外、他に方法はないので、寸前の暗黒に提灯も持たず、身支度もせず、ヨモヤ、マサカなどと楽天して、暢気に歩みを運ぶのは、実以て危険千万である。もしそれ、すでに戦禍の一隅に足を踏み入れながら、外侮の未だ来らざるに安んじて、兄弟内に鬩《せめ》ぎ、帳簿上の輸出超過などに驚喜して、資材は内を出で、正貨は却って外に残れるに気付かず、他日の低気圧が自家の頭上に移り来たるとき、四囲を守るべき垣根はすでに朽敗し、これを応急処置すべき資力も材料も無かったなれば、如何にして、その運命を支持するのであろうか。嗚呼、何を言うても最早遅し、吾人はただ神明の加護を信頼し、退いて筐底《きょうてい》の古剣でも磨こう。

大正六年二月十一日講談