支那と対比して
日本国民性の自覚

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 同じ東亜に於ける同文同種の民族で、かつ千有余年の間、絶えず相接触交通し来った我が日本人と隣邦支那人とではあるが、各その国体及び歴史上の感化や、また山海風土の影響で、この両国人の間には、著しき正反対の性格上の相違がある。この性格とは「天命これを性と謂い、性に率うこれを道と謂う」の性格で、あるいは必性という方が適切であるかも知れぬ。
自分は前後数回、支那の南北に旅行し、事に遭い物に触れて、常にこの性格の相違を感じたのであるが、この相違が分からなければ、支那の事物の観察も判断も出来ないのみならず、我が日本の特性たる大和魂がいかなるものであるかも自覚されないのである。多くの人は己が潔白であると、人も潔白だと信じ、自分の喜ぶことは、人も喜ぶであろうと思うが、それは大間違いで、性格が違えば、喜怒哀楽ことごとく違ってくるものである。我が神国には古来、一種異様の気風が存続していて、多年相接触せる隣邦の支那人ですら、この性格の表現については全く正反対である。いわんや欧米人等にはこれに似寄った特性が見受けられないのである。しかして「性に率うこれを道と謂う」が如く、その国の倫理道徳は、この国民性から出て来るのであるから、西洋倫理の原則等をもって、我が国の道義を解釈しょうなどとすると、とんでもない大間違いが起こるのである。
 さて、自分が支那国民の性格の著しき相違に気の付いたのは、別に深い研究とか詳しき考証などからではない。至極卑近な点から観察し得たのである。まず支那の一海港に着船して、上陸しようと思うと、無数の舢板(通船)が我れ勝ちに客を載せんとして、先を争い、喧々囂々(けんけんごうごう)、相罵り相排して、群り来る有様は、あたら一場の大喧嘩でも始まったかの如くに思われる。また汽車旅行をして、支那のある停車場に降りて、人力車に乗らんとする時、無数の車夫が客の面前に梶棒を突き出してくる有様も、やはり水上の舢板と同現象である。その時、我々日本人はすぐに感じる。もしそのうちの一舟または一事に乗ろうものなら、それこそ本当の大喧嘩となって、車から引きずりおろされはせぬかと、危惧の思いをするのである。ところが、また不思議にそれが正反対で、手当たり次第どの車にでも舢板にでも、飛び乗って見ると、意外千万、今まで囂々たりし喧噪は頓(とみ)に治まって、銘々元の持ち場に帰り、どこに風が吹いたかというような顔付で、静粛に澄ましている。もしこれが日本の内地なれば、大抵前もって競争を避くるために、客を乗せる順番が定めてあって、横から出て客を奪うようなことをすれば、すぐに鉄拳が飛んで梶棒が折れ、お客は立ち往生せねばならぬのである。これをもって見ると、支那人は同業仲間にも結合心が乏しくて、銘々各個本位であるということが分かると同時に、また至極諦めがよくて、過去の事に執着せず、一度事定まれば、客を取られた商売仇に対して、さほど執念を残さないことが察せらる。
 まずこんな点から気を付けて見て、なお人情風俗の細事にまで着眼すると、日本の新聞の第三面に、毎日のように出ている情死事件は、支那では今も昔もほとんど皆無で、想夫憐という言葉はあるが、その事実は少しも見当たらない。そもそもこの情死というものが、心理上どうして起こるかといえば、離るべからざる男女の粘着性に、過去の情義と未来の絶望とが付きまとって成立するものであるが、この情死の無いところを見ると、支那人は青春燃ゆるが如き男女の間にも、日本人ほどに一身同体的の粘着性がなくして、やはり各個本位らしく、ただ現在を主義とし、過去にも未来にも執着せぬものと見える。同じ人情の発作より現出する仇討ち事件なども、また支那の古今を通じてほとんど稀有である(晋の豫譲の如きは、例外中の例外である)。支那人は君父の仇は倶に天を戴かずなどと口ではいうが、心ではさほど切実に思わないので、日本人は君父の恩愛が身に沁(し)みて、明けても暮れても忘れられないからこそ艱難辛苦を嘗め、命を投げ出してまでも仇討ちをするのである。日本人には死んでも忘れぬほどに執念深いものが多いが、支那人は生きていて忘れるほど諦めのよきものが多い。この諦めのよいことについて、上海の某日本医師から聞いた実話がある。蘇州付近のある中流以上の支那の豪家で、子供が急病というので呼びに来たから、行ってみると、その家の門前に二歳ばかりの嬰児が蓆の上に捨ててあって、大変に泣いているから、聞いて見ると、これが即ちその家の病児で、すでに昨日支那の医者に見て貰うたら、もはや到底助からないと診断されたから、易簀(えきさく)のため、門外に移したとのことである (易簀とは、支那古来の風習で、瀕死の病人の床室を易(か)えることなり)。その病児は脳膜炎で、到底助からなかったそうではあるが、こんなことは到底日本人の想像の及ばないところで、よく言えば諦めのよいのであるが、悪く言えば誠に親子の情愛の薄いものである。もしこれが日本の母親ならば、嬰児が死んでも、未だその遺骸を抱いて泣いているべきところである。自分は、かく彼我性格の相違を観察し、初めて氷解し得たのは、刑場に於ける支那人が誰でも彼でも、何故に神色自若として従容死につくかの一大疑点であった。単に自己一人を本位として、他に執着することなく、過去の追想と未来の望念がなければ、死に瀕して従容自若たるべきはずである。日本人の死に際の比較的見悪いのは、我が志望は誰が継ぐであろうか、我が亡き後で妻子は如何にするであろうか等の執念があるからで、これは日本人の日本人たるところがあるのである。これを君臣、父子の間に見ても、あるいは夫婦、兄弟、師弟、朋友の中に見ても、その間に於ける情義的執着心は、日本人と支那人の間に宵壌の差隔があると思われる。
 支那の古の聖賢が一生かかって道を説き教えを布いたのも、支那人個々の粘着性を増さんがためである。これに反して我が日本には、輸入されたものの外に、別段事々しく書いた教えもないが、かえってその粘着性の存続しているのが不思議である。仁義とか忠孝とかいう文字は、日本人の特性を言い現わすために、支那人が作ってくれたかのようにも思われる。
 支那人の個人的現在主義は、単に人間に対してのみならず、無情無心の草木等に対してもまた同様である。日本では花より団子などとはいうものの、上野や向島の花盛りには、まだまだ花に酔い花に吟ずるものが多いが、支那人は野外の花にも床の間の花にも、嗜好が至って薄いのみならず、たまたまこれを嗜むものも、満開の花のみである。されば支那の市場に鬻(ひさ)げる草花でも、貴人の室内に飾れる盆栽の花でも、皆満開ばかりで、日本人のように蕾を愛でて、未来の開花を楽しむとか、また枯枝を生けて過去をしのぶというような趣味は少しも見えない。やはり現在主義である。その他、彼の濃厚な支那料理や、敏調な支那音楽が、支那人の口耳の嗜好に適するところを見ても、その神経作用がこれに正反対なるべきことを想像されるのである。 これを心理的に詮じ詰めてゆくと、支那人の各個は、人にも物にも、過去にも未来にも、執着しないところの遊離性を天有していることが確実で、これに反し、日本人の各個は何にでも喰い付きたがる粘着性があって、怨んでも喜んでも、骨髄に徹する方であることが自覚せらるるのである。無論これは極端と極端を対照した比較で、支那人にも絶対的に粘着性がなく、日本人にも遊離性が皆無であるというわけではない。斯くいうと、あるいは支那人にも粘着性がないことはない。彼の「ボイコット」や同盟罷工等の遣り口を見ると、なかなか支那人の団結は堅固で、到底日本人等の及ぶところではないという人があるかも知れぬが、それは観察の仕様が間違っているからだ。斯くの如き団結は、むしろ付和雷同ともいうべきもので、付和雷同の因って起こる心理作用は、その実、各個人の遊離性に発し、箒に掃き寄せられたる塵の如きものである。もしこの塵に粘着性があったならば、なかなか容易に掃き寄せらるるものではない。故に「ボイコット」などの裏面には、必ず利益の誘惑か、もしくは損害の脅迫が伏在しておって、あたかも利害という嚢に豆を入れてその口を固く縛ったようなもので、固まってはいるが、豆粒と豆粒とが相粘着して、一固塊となっているのではない。故に利害という嚢が破れると、すぐにまたバラバラに元の個々の豆粒となるのである。しかし、この頃の日本人のように、ヤレ理義とか感情とか、また利害とか、二拍子も三拍子も揃わなければ一致せぬのと比較すると、結局支那人の方が単調で、その団結も固いかも知れない。それはとにかく、支那人の各個が個々に分離していて、結合力に乏しいのは確かな事実である。しかして、斯く成り果てた原因は、主としてその国体および歴史の然らしむるところで、数千年の間に度々その統治者を代え、永遠の君主として尊奉すべきものなく、国政もまたしばしば紛乱して国民の生命財産の安固を保証し得られず、各人各個に自己一人を信頼するほか頼るべきものなく、過去も未来も度外に置いて、終に個人本位、現在主義に帰するの巳むを得ざるに至ったのであるかと考える。これに比較すると、我が日本人は実に有難きもので、天地開闢の創始より、離るべからざる万世一系の君主を戴き、人心の帰一すべき中心が寸分も動かず、上下同心一体となって、今日まで来りたるが故に、各人各個の粘着性即ち結合心が存続し、大和魂の根源もここに存在しているのである。
先帝陛下も、
「我皇祖皇宗国を肇むること宏遠に徳を樹つること深厚なり。我臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々厥の美を済せば我国体の精華」
であると宣わせられた。この精華の二字は、我々臣民が深く翫味して、拳々服膺せねばならぬことで、精とは精神の精、物の精と同一で、内に潜める神聖純白なる心の根源、また華とはその外に現われて、真、善、美の形象を出現する態(さま)をいうのである。この精華を取り去ったならば、我が日本人の日本人たる所以は消滅してしまうのである。されば我々日本人は、支那人の如く利害の嚢などで包まるることなく、やはり古の赤穂四十七士のように、理義に合したる至情をもって一致団結すべきもので、それでなければ真正の挙国一致も一家団欒も出来るものではないのである。しかしてその大本の至情は、この御国体を知って、他に比類なき我が君臣の義、父子の親を弁えることから出てくるのである。前にも述べた如く、我が国には古来、別段書き連ねた教文も経典もない、我が祖先の垂示は言挙げせぬ教えと申して、実行を主としたもので、彼の古事記に見える神々の実行的垂示は、千言万語に優れる立派な教えである。この言挙げせず書き現わさないところに、我が国教の最も尊い点があるので、自分の信ずるところでは、すでに言挙げせられて書き現わされたる経典は、儒教であれ、仏教であれ、また基督教であれ、何であれ、その言字そのものに付き絡(まと)うたる宗教上の病根があるかと信ずる。もしそれ、浅薄なる西洋倫理などを以て、何故に、君に忠ならねばならぬか、なぜ親に孝せねばならぬかなどいうに至りては、なぜ人は人か、何故に一は一か、というようなもので、分からぬにも程があると思われる。
 宗教談はさておき、自分はここに日本人と支那人との性格の相違だけを述べるので、あえて両者性格の優劣を比較するつもりではないが、この国民性がその国の元気となって、国勢の消長に至大の関係を持っているのであるから、日本人たると支那人たるとを問わず、各その自性に省み、その長所短所を自覚して、世界の大勢に対応するの心懸けがなければならぬ。支那人の遊離性即ち、いわゆる個人主義は、国民としてこの世界に立って行くに不適当なるはいうまでもなきことで、今少し国民各個間の粘着性、執着心がなければ、支那人各個は如何なる富貴を得ても、支那国の存立永続はおぼつかなかろうと思う。 自分は決して支那人に情死をせよ、仇討をやれと勧告するものではないが、情死をし仇討ちをするに至らしむるだけの粘着性がなくては、一家も一国も持ちきれるものではないのである。粘着性も、我が国体の精華の根源ともいうべきもので、太く大きく凝結をすれば、真に上乗であるが、それが個々別々に部分的に粘着すると、あるいは藩閥党閥または学問業閥等に悪化して、相排擠(はいせい)反搏して全体の発達を阻害し、さらにヨリ少し粘着すると、男女二人の情死ともなり、なお極度に少なくなると、支那人同様に、単一の個人主義に細化してしまうのである。もし執着心の強い日本人が、この極端な個人主義になったら、それこそ大変、悪辣、陰険、残忍、暴虐の一固塊と化して、世にこれほど怖るべき害毒を発生するものはなかろうと思う。されば吾人は銘々各個に、ここに至らざるよう留意せねばならぬはもちろん、男女二人の情死の如きも、その二人の亡きあとで、その父母はどれほど悲しむべきであろうか、またその両家は如何になるであろうかと、一廻り大きな範囲より考え直すと、その無分別が自覚されるものである。 国家間題に藩閥や党閥を持ち出したり、町村問題に一人一家の利害を考慮するなども、やは分別の範囲を小さくするからで、真正の大和魂は、大事には大に、小事には小に、それぞれの範囲に応じて、適当に凝結和合せねばならぬのである。吾人はこの貴重なる大和魂の、大と和の二字を最も深く服膺せねばならぬと信ずる。

(大正二年二月 古典攻究会講話)