川口神社

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 ロシア軍による広瀬の葬儀の様子が描かれたペ・ ラレンコの日記「旅順の苦悩の日」について調べていたところ、偶然見つけたのが川口市役所の「平成20年度第1回川口市文化財保護会審議結果」の資料。意外と身近なところに旅順閉塞作戦従軍者の胸像があったことを知り、さっそく見に行ってきました。

小池幸三郎胸像


小池幸三郎一等機関兵の胸像

 小池幸三郎は第二次旅順口閉塞作戦に志願し、広瀬武夫が指揮する福井丸の乗員として参戦。福井丸自沈後、脱出する際にボート上で敵弾を受け戦死します。


福井丸乗員の集合写真。向かって左が戦死した小池機関兵の棺。

 手元にある資料を色々と漁ったのですが、小池の肖像写真は見つからず(同じく脱出の際に戦死した菅波政次一等信号兵の写真はありました)、日露戦争実記 第十八巻(臨時増刊)「 旅順口閉塞隊」に下記のような紹介文が載っているだけでした。

△君平素人に語って曰く『己は学問がないから、軍人となって生命を的に働いて見せる。』と此言今や事実となって、壮烈なる戦死を遂げられたり。「高千穂」選出=埼玉縣北足立郡川口村の人=勇戦の時二十五歳。


 広瀬、杉野とは違ってあまり注目されず、地元の片隅に人知れず残されていた小池の胸像。都内にあった広瀬の銅像は無くなってしまいましたが、この像は大切に守り続けてほしいものです。


凱旋橋の碑

 小池幸三郎ら戦死した地元出身者3人を称えるため、明治39年にこの近くに「凱旋橋」が造られました。現在、橋は郵便局近くの道端に片側の欄干だけが残っている状態です。この碑ももともとは橋の近くにあったものですが、川口神社に移設されました。題字は埼玉出身の浅田信興。

交通案内

JR川口駅東口から徒歩8分。東口から本町大通り沿いに進み、「本町三丁目」信号を過ぎた所にある交番の手前を右折するのが分かりやすいと思います。