共立学校

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共立学校

 真之と子規が通っていた共立学校は、現在の小川町駅(都営地下鉄新宿線)の近くにありました。その後、西日暮里に移転し、現在は開成中学・高等学校となっています。


<共立学校の後進である開成高校は西日暮里駅のホームから見える>


※参考までに、共立学校など当時の予備校を紹介。

共立学校(現在の開成中学校・高等学校)
 1871年に開校。1878年には高橋是清が校長に就任し、大学予備門進学者のための受験予備校として改革。大学予備門の定員約450名に対して、共立からの進学者は50名〜100名を占めた。
卒業生 : 正岡子規、秋山真之、南方熊楠、岡田啓介、山口多聞


二松学舎(現在の二松學舍大学)
 1877年に開かれた漢学私塾。渋沢栄一、金子堅太郎、吉田茂らが舎長を務めた。
卒業生 : 夏目漱石、橘周太、犬養毅、中江兆民


開成学校(現在の東京大学)
 外国の文献を研究する機関であった蕃書調所が後に開成所と改名され、明治維新後に開成学校、さらに大学南校と改称。明治10年に東京医学校と合併し、旧制東京大学となる。
卒業生 : 福島安正、小村寿太郎


攻玉社(現在の攻玉社中学校・高等学校)
 1863年に開かれた鳥羽藩の蘭学塾が前身。1869年、築地の海軍操練所への移転に伴い「攻玉社」と改称。海軍予備科を設置するなど、海軍兵学校への予備校として発展した。現在の制服は海軍の第一種軍服によく似ている。
卒業生 : 広瀬武夫、鈴木貫太郎、山屋他人、財部彪、加藤寛治、百武三郎、山本英輔、
       安保清種、村上格一、宇都宮太郎、飯田久恒


海軍予備学校(海城中学校・高等学校)
 1891年に海軍軍人の古賀喜三郎が私財を投じて設立。1900年に海城学校と改称。一時はここの卒業生が海軍兵学校入学者の半数近くを占めるほどであった(・・・が、卒業生の有名人は意外と少なく、野村吉三郎など数人しかいない)。


成城学校(成城中学校・高等学校)
 1885年に軍人志望者を養成する文武講習館として創立され、翌年に成城学校と改称。陸軍士官学校、陸軍幼年学校の予備校として発展した。川上操六や児玉源太郎らが校長を務めた。
卒業生 : 宇垣一成、鈴木孝雄、松井石根、寺内寿一、乃木勝典、乃木保典、小沢治三郎