2010年8月、親類の法事で京都に行ったついでに立ち寄ってきました。しかし、猛暑のため駅から15分ほど歩いて神社に着いたころには汗だく。一緒にいた息子もかなり暑そうだったので、見学は早めに切り上げて帰ってきました。そのため、写真や記事が少なめになってます・・・。
大正5年に鉄道会社の取締役を務めていた村野山人が私財を投じて建立した神社。乃木が敬慕していた明治天皇の陵墓近くにあります。 この神門は樹齢3千年、直径2mの台湾檜一本で造られたもの・・・、と事前に神社のホームページで予習していったのですが、あまりの暑さでそんなエピソードを思い出すこともなく素通りしていました。
日露戦争で上村率いる第二艦隊に編入されていた巡洋艦「吾妻」の主錨。昭和19年に吾妻が除籍、解体となった後、慰霊モニュメントとして境内に設置されています。暑かったのでここも写真撮影だけして素通り。
土蔵型の資料館。乃木夫妻の遺品や遺墨が展示されています。日露戦争で使われていたものもいくつかあったようですが・・・・暑さでボーッとしていてよく覚えていません。日露戦争実記、写真画報も数十冊ほど展示されていました。
そして今回の主目的であった第三軍司令部。日露戦争中に柳樹房で第三軍司令部として使われていた民家を買い取って移築したものです。
明治三十七年十月九日、柳樹房の司令部前で撮影。水師営の会見所は再建物ですが、司令部はこの写真が撮影された当時そのままのものです。内部構造は水師営の会見所と似ていて3部屋。入ってすぐの小部屋には釜戸のようなものがありました。右側の部屋は乃木の一代記を描いた絵画が飾られており、左の部屋には「成長祈願ダルマ」という大小様々なダルマが所狭しと並べられていました。
10歳から16歳まで長府で過ごした時の邸宅。こちらは大正期に復元された建物です。同じ建物は長府の乃木神社近くにも復元されているようです。
本殿前にはステッセルから贈られた愛馬「壽号」とその仔馬「璞号」の像があります。
参拝後、本殿前の「勝水」で水分補給。そしてお土産を買って帰りました。
暑い中、ついてきてくれた息子への御褒美ということで、おやつ用の甘栗「勝ちま栗」。黄色いダルマは、「どのお守りにする?」と聞いたところ、司令部内に成長祈願ダルマがたくさん並んでいたのが気に入ったらしく、「ダルマさんがいい」と言って選んだものです。
JR桃山駅から徒歩10分、近鉄桃山御陵駅から徒歩15分