習志野

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「習志野」の由来

習志野之原行幸之図
習志野之原行幸之図(明治天皇と西郷隆盛)

 明治6年に行われた近衛兵の大演習で、篠原国幹(陸軍少将。田原坂で戦死)の指揮を見た明治天皇が「篠原に習え」という意味を込めて「習志野原」と命名したと言われています。



秋山好古顕彰碑

秋山好古顕彰碑

 2009年、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」放映に合わせて習志野市の薬師寺隣に建てられた好古の顕彰碑。馬を象った石に好古の肖像写真と「天地無私」の書が刻まれています。場所は京成大久保駅から徒歩数分、学園大久保商店街の通り沿いにあります。

八幡公園(騎兵旅団司令部跡、騎兵発祥の地)


八幡公園

  好古の顕彰碑から北東へ歩くこと数分、公園として整備された騎兵旅団司令部の跡地があります。入り口には旅団司令部の門柱らしき構造物が残されています。

習志野 軍馬忠魂塔

 正面には4つの石碑が並んでいます。左から「馬頭観世音」「軍馬忠魂塔」「軍馬之碑」「騎兵第一旅団司令部跡」の碑。

騎兵第一旅団司令部跡

 一番右にある「騎兵第一旅団司令部跡」の碑。「一」の文字のあたりで一度折れて修復されたような形跡があります。


習志野騎兵旅団発祥の地

 同じ敷地内にある「習志野騎兵旅団発祥の地」の碑。昭和51年に建立。揮毫者の「閑院純仁」は日露戦争時の騎兵第二旅団長 閑院宮載仁の次男です。

栗林忠道の揮毫碑

栗林忠道の揮毫碑

 八幡公園の隣にある誉田八幡神社には、昭和20年に硫黄島の戦いを指揮した栗林忠道(陸士26期騎兵科。陸軍騎兵学校卒)の揮毫碑があります。紀元二千六百年(昭和15年)当時、栗林は騎兵第二旅団長、騎兵第一旅団長として習志野に赴任していました。自分にとっては母校の先輩ということで、見学ルートに加えていました。


その他

 東邦大学の敷地内には騎兵第十三連隊の碑、司馬遼太郎の碑があるようです。休日に勝手に大学の敷地内に入って写真を撮るのは気が引けたので、この時は見学・撮影はしていません。オープンキャンパスなど機会がある時にでも見に行こうと思っています。