日本海海戦100周年B

坂の上の雲 > 三笠

様々な方々との対面


 さて、今回のイベントですが実は記念式典よりもむしろその後のほうが重要でした。

 まずは、日露文化センター代表の川村秀さんとお会いしたことです。
 式典の数日前、現代レポート編集人の佐藤隆一さんから旅順港閉塞作戦についてお問い合わせがありました。毎月マスコミ関係者などが参加して行われる水曜会という懇親会で「世界の諜報戦争」という記録映画が放映され、そこには軍外套を着た損傷のない広瀬武夫の遺体、ロシア海軍によってその遺体が埋葬されるシーンなどが映っていたそうです。実は広瀬の遺体がロシア軍によって埋葬されたということについては、このサイトでも「軍事」の「旅順口閉塞作戦」に関連情報を掲載しています。

『旅順砲台の兵士であったペ・ラレンコの日記には第2回閉塞作戦とその後の様子が次のように記されている。

四月三日

 先日旅順港口閉塞を試みて戦死した日本の将士のために葬式が営まれた。その中に将校が一人あった。広瀬少佐だ。葬式はすべて軍の礼を用い、棺は日本の軍旗で包み、儀仗護送兵と楽隊をつけた。多数の群衆がこれを見送った。・・・(以下省略)・・・。』


 佐藤さんからはこの記事の出典についてのお問い合わせがあり、その後のメールのやり取りでこの記録映画の監修を担当した川村秀さんと記念式典でお会いすることになりました。川村さんはモスクワにあるロシア科学アカデミー東洋学研究所で元KGBのアレクセイ・キリチェンコ氏と研究をしているそうです。また、司馬さんの「ロシアについて」、「最後の将軍」のロシア語版を出版した方で、「坂の上の雲」のロシア語出版も計画されているとのこと。
 そして記念式典終了後、さっそく携帯で連絡をとりあって東郷平八郎像の下で川村さん、マスコミインサイト社の大谷英彦さんらと合流しました。お話できたのは短時間でしたが、資料や情報の交換を行い、最後は一緒に三笠前で記念撮影(その写真ですが、あとで確認したところ僕の後ろには来賓として出席していた中谷元防衛庁長官も写っていました)。川村さんから頂いた資料はこの文書です (掲載の許可を頂いたので、PDF化して公開します)。
 ここに書かれているように、記録映画はロシアでは放映されたものの日本ではまだ未公開です。また、ロシアでは一部しか放映できなかったとのことで、日本で完全版を作成して放映することを計画しているそうです。広瀬の遺体と葬儀についてはホームページ作成の過程でペ・ラレンコの日記を見つけたときから気になっていたのですが、それを裏付けるような映像が残っているということは非常に興味深いことです。放映化実現に向けて、情報提供など皆様のご協力をよろしくお願いいたします m(_ _)m

 次に、記念式典に出席していた「MV STORIA」のMVさん、「あきやまさねゆきどっとこむ」のみゆきさんと合流。オフ会について簡単に打ち合わせをし、その後、記念宴の会場である横須賀プリンスホテルへ向かいました。

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