出張の帰りに立ち寄った栃木県小山市。1600年、会津の上杉攻めに向かっていた徳川家康が石田三成と雌雄を決するために関ヶ原へと反転することを決めた軍議「小山評定」が行われた場所です。駅の近くに石碑があるらしいということで立ち寄ってきました。
次に向かったのが小山城。さほど有名ではなく、また跡地は城山公園になっていて土塁と堀の一部が残っているだけの城跡です。個人的なことですが、ゲーム「信長の野望」で伊達政宗でプレイし南下したとき、関東侵攻中の豊臣軍とよく激突することになったのがこの小山城。ゲームで何度も攻め落としたり、攻められて籠城した城なので、とりあえず見ておこうと思って行ってみました。
城山公園は特にこれといって見るものも無い普通の公園でしたが、せっかく来たのだから何か探そうと思って公園内を一周したところ、高さ4メートルほどの「慰霊塔」を見つけました。城跡には戦没者の慰霊塔が建てられていることも多いので、近づいたところ、慰霊塔の隣に石碑が二つ並んでいるのに気づきました。
さっそく揮毫者名を確認。まず左側の忠魂碑は「希典書」とあり、乃木希典揮毫の石碑でした。
小伝馬町近くの十思公園でも同様の石碑を見たことがあるので特に珍しい物とも思わなかったのですが、意外だったのがその隣。
「明治三十七八年戦役記念 陸軍少将梅澤道治書」。乃木は栃木県内の那須に住んでいたので小山に石碑があってもおかしくはないのですが、梅沢と小山の縁は不明です。梅沢旅団の出征者の中に小山出身者がいて、揮毫を依頼されたのかもしれません。
JR小山から徒歩10分