水師営で昼食をとったあと、再び大連市内に戻りました。帰りのバスでは日露陸戦史の解説があり、また全員で「水師営の会見」「広瀬中佐」などを合唱しました。
大連の市内観光で最初に訪れたのはロシア人街。
西洋風の建築物が並び、露店ではマトリョーシカ人形などが売られていました。
次に中山広場へ。ロシア統治時代は「ニコライ広場」と呼ばれていたそうです。「中山」というのは孫文の名前。これは彼を記念するための広場で、中国各地にあります。正面に見える建物は中国銀行(旧横浜正金銀行)。
広場を挟んで中国銀行の反対側にあるこの建物は大連賓館(旧大和ホテル)。中山広場の周りにはこの他にも日本統治時代の建築物がいくつか残っています。
さて、我々が乗ってきたバスは大連賓館の近くに駐車しているので、横断歩道を渡らなければならなかったのですが・・・・、この広場の周りにある横断歩道には信号が一つもありません。ガイドさんに尋ねたところ、市内には歩行者用の信号はほとんど無いそうです。
だから、現地の人々は車が走っているにもかかわらず半ば強引にに道を横切っています。横断歩道のない道や交差点でも。写真中央付近で渡らずに待っているのがガイドさんとツアー参加者の方。
横断歩道を渡っている歩行者がいても、車は止まってくれません。歩行者の目の前をそのまま走っていきます。そういえば、初日のバスの中でガイドさんがこんな事を言っていました。 「みなさんに中国で気を付けていただきたいことが二つあります。一つは生水を飲まないこと。もう一つは、歩行者よりも車が優先だということです。道を渡ろうとしても車はなかなか止まってくれません。止まってくれるのはタクシーだけですよ」。
この次に向かったのが旧満鉄本社。
現在は中国の鉄道会社がこの建物を使用しているそうです。このあと旧満鉄病院(現在も鉄道会社の病院)前を通り、旧日本人街に行きました。しかし、ここの家はほとんど建て替えられていて当時の面影が全くありませんでした。
さて、この日の夕食は市街を一望できる丘の上にあるレストラン。カメラを持っていかなかったので写真を撮れなかったのですが、夜景が非常にキレイでした。乾杯の挨拶に指名されたのは、ちょうどこの日に75歳の誕生日を迎えた方でした。
「まさかこんな形で挨拶をさせられるとは思ってもいませんでした。よく調べたもんですねぇ。実は私はこの大連で生まれ育ったので、ガイドさんよりもこの辺の事には詳しいんですよ。ちなみに私が生まれたのは、今日バスで通ってきた満鉄病院なんです」
これには指名した添乗員さんもビックリ。ということで、このあとすぐにバースデーケーキが用意されて全員で誕生日をお祝いすることになりました。その方にとっては最も思い出に残る誕生日になったのではないでしょうか。一緒にお祝いすることができた我々も感慨深いものがありました。これも、ケーキを手配するなど細かい心配りをしていただいた旅行会社の方々のおかげだと思います。