部下を労る

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 将軍は部下の将校などに対して言葉の綺麗な人であった。軍隊生活をしていれば、部下に対して「お前」「貴様」などと呼ぶのが普通であるが、将軍は決してそんな言葉は使わなかった。必ず「あなた」と呼び、何か命ずるにも「下さい」をつける。そして仕事をやらした後では大抵「有り難う」を言う事を忘れない。こういう事は艦上生活をやっている人にはなかなか出来ない事だ。
 また、部下の者の建言を将軍は非常に重んじていた。計画をもって来ると、余程杜撰(ずさん)なものでない限りは大抵実行させた。そしてもしそれが失敗すると「お前では駄目だ」と頭から斥けてしまうような事はなく、失敗の原因その他に就き自分の観察するところにしたがい、諄々(じゅんじゅん)として説明してやるといったふうだった。
 部下に対しては、この様に慈母のような将軍であったが、同輩に対して何うかすると怒ることがった。怒ると火のような将軍の本性が現れる。八ヶ月の三笠副長時代後にも先にも唯一将軍が怒ったことがあった。
 それは昼の食事後か何かの時だったが、将軍が部下の士官等と一緒に艦内のソファーの上に寝ころんで雑談をしていると、航海長の某中佐が入って来て、
「士官室でゴロゴロ寝ているから、フォールの兵隊が暇さえあれば寝ている」
と叱言がましく言った。これは航海長としての越権の言葉である。将軍は赫となって、いきなりパッと仁王立に立ち上がった。
「何だい、フォールの兵隊が寝ようと寝まいと、貴様の知ったことか、黙れッ!」
 その権幕に恐れて、某中佐は這々の体でその場を去った。痛烈な怒罵であったが、しかもこれが同格の中佐が中佐を罵った言葉だから面白い。−蓋しこれも将軍の閃きであろう。
 将軍が乗組員の考課表を書くのに例の達筆が余程役に立っている上に、出来るだけ部下の者を好意で見ようとする美しい態度が自然表の中に現れていた。それである時、三笠艦上で艦隊の進級会議が開かれた時、某艦長が将軍に向かって、
「秋山君、何うも筆がいくら立ったって、ああ書かれては我々何うもやりきれない。他艦の乗員よりも君の艦のを何うしても最上位に置かざるを得ないぢゃないか」
と言って笑った。将軍は頭を掻き掻き、
「いや、その筆も碌(ろく)に廻らんので」
と、これも笑って答えたそうである。


 諄々 : よくわかるように繰り返し教えさとすさま