兵学の基礎

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 秋山軍学の内容を説くに際し、その前提として、斯かる一派を成すべき軍学がどうして築き上げられたか、先ずその点から考究してかからなければならない。
 これには他の多くの学術同様、学究的方面からのものと実際的方面からのものとの二つがある。
 実際的方面のものとしては将軍の経歴そのものが、一々実地に就いて役立っている訳である。日清戦争、米西戦争、日露戦争、欧州大戦等がそれである。
 しかし右のうち日清戦争は、眇(びょう)たる一小砲艦筑紫の航海士として海戦らしい海戦にも出会わず、脾肉の嘆やる方なく甲板上で剣を振り回していたという程だったから、これが戦略家秋山将軍のためにさほど実地の好材料を提供したとは思えない。米西戦争では米艦に観戦武官として乗組み、親しく実地を見ているから、これが非常の参考になっている事はいうまでもない。将軍が日露戦争で実施した作戦のうち、この時に学び得た智識がどれだけ多く盛り込まれているかは想像するに難くない。現に旅順口封鎖の作戦は米艦隊のサンチヤゴ封鎖に習った点が少なくないと、将軍自ら友人(同郷河井清氏)に語ったことがある程である。米西戦争当時将軍が心覚えのためにノートに走り書きしたものや海戦に臨んで彼我艦隊の配置見取り図、スケッチ、新聞の切り抜きなどが多数秋山家に保存されてあるが、これなど我海軍史上好個の参考資料であろうと思われる。
 日露戦争は将軍が多年蘊蓄(うんちく)したる学理と経験の総てを挙げて実際に試むべき好個の実地試験であった。それと同時に将軍はこの戦争によって更に新たな経験を重ね得たる上、なおまた観戦武官として欧州大戦をも視察したのであるから、ただその経験を見ただけでも、大戦略家たるの資格は十分にある。況して博覧強記、研鑽攻討、古今東西にわたって軍書の蘊奥(うんおう)を極めた上に作戦的智能に於いては全く天稟の偉才をもっているのだから、世界的戦略家として許さるるは蓋し当然であろう。

 蘊奥 : 奥義、極意