桃太郎の解説

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 軍事文学、報告文学を離れて将軍の最も名文とされているのは、「黒船初めて江戸湾に来るの図に題す」の一文であった。
 これは将軍の大尉時代の作で、かの米国留学中退役少将ルース氏の書斎で偶然標題にあるが如き図を示された。少将は当時、一少尉候補生として米艦の乗組員たりしもので、往時を追懐して将軍に種々物語る所があった。図を見、話を聞いて、将軍は往時如何に我国海防設備の微力なりしかを思って感慨に堪えなかった。それで筆を走らせてこの一文を草したのであったが、かなり長文だから全文の掲載は遺憾ながらこれを省き、後節の桃太郎の童話の解説だけを抜いて左に掲載することとしよう。この解説たるや秋山家の父祖の代からの一種の家憲ともいうべきもので、恐らく将軍の一生を支配した信条でもあっただろうし、また将軍が海軍軍人となった原因の一つでもあったろうと思われる。

 不肖はこの図に関連して、耳底に残れる父の訓話に連想し、我国の祖先は遠き昔より已に海運の振興を後世に訓戒したることを想起せざるを得ず。不肖幼少の時、亡父屡々「鬼ヶ島桃太郎」の昔噺を解説し、不肖を戒めて曰く
 桃太郎が日本一の吉備団子を携え、これを与えて犬と猿、雉を従え、遥々海を越えて鬼ヶ島に押渡り、鬼人を退治し、財宝巨万を船に積みて故国に還り、その老父母を喜ばしたる童話は、吾国の人誰しもこれを知らん、この噺の中には深き意味を込めたるものにて、日本国行末の繁昌を願いて、先覚の知者が後世子孫を諷訓したるものなり。「桃太郎」即ち「百太郎」とは取りも直さず日本多数の男子と言ふことを意味せり。又「日本一の吉備団子」は就中大切の意義を含めり。其の「日本」とは日本第一に非ずして、日本一ツ即ち挙国一致の意、「吉備」は十全、「団子」は円満団結の意ありて、之を一括すれば、日本国中一ツの如く完全無欠に団結すべき心の鍵を暗示したるものにて、之れあればこそ犬猿相容れざる仲の犬と猿と雉の如きものも相提携して鬼ヶ島即ち海外に発展するを得る所以なり。又、犬、猿、雉は禽獣の性能を以て、人間の心力を表示せるものにて、犬は忠実、勇敢、即ち勇、猿は炯智、敏捷、即ち智、雉は堪忍、慈愛、即ち仁の天性を有し、又犬は地を駛留も木に登る能はず。猿は木に登るも空を飛ぶ能はざれば、犬、猿、雉は獲得長の能あり。人たるもの此六性三能を兼備すれば、如何なる難事に当るも失敗すべきにあらず。「鬼ヶ島」は海外赤髭の住む所、又その持てる宝物は、単に金銀珠玉にあらずして、有形無形、彼の長所利点と心得て可ならむ。之を要するに、此桃太郎の昔噺は、「日本多数の男子は故国に恋々たらず、海洋を越えて外国に渡り、箇々の名利に拘らず、挙国一致の団結を保ち、天賦の心力たる智、仁、勇を応用して、他外国人の長所利点を取来れ」との意味を含めるものなり。
 この昔噺誰が作りしか知らねども、兎に角、古人はこの如き意味深長の佳話を残して、後世子孫を奨励訓戒したるものの如し。然れども鎖国泰平の世には、この意義を翫味するさえ叶わず、今日の父老これを知るもの甚だ少し。今や明治隆興の御代となり、列国と対峙するに至りたれば、帝国多数の桃太郎はこの昔噺の意義を服膺して、君国に尽力すべき時とはなれり。蓋し桃太郎の孝道は、真正日本流の孝道にして、忠道もまたこの裏に存せり。父母の膝下に終始して二十四孝流の孝道を尽くすが如きは女子の職分、予の汝に望むところにあらず。汝宜しく桃太郎の孝道を踏んで、また一家を省慮する勿れ。云々。
 国の東西を問わず時の古今を論ぜず、長年の実歴に依り、百世を大観したる古老の教訓する処、多くは海にありて、陸にあらず、退守に非ずして進取なるが如し。今この図に対して往事を追憶し、感慨少なからず。乃ちこれと連係せるルース少将並びに亡父の談話を列記し、黒船初来の図に付すると云爾。

 この一文は正確にいえば明治三十三年の執筆で「水交社記事」に寄せたものであった。
 要するに将軍は文章を学ぶのに山本大将の話のように、それ相当の修業はしていたには相違いないが、やはりその才は何といっても天稟であったことは確かである。そして一つの特徴は文章を纏めるのに極めて敏速な頭脳の持ち主だったという事が出来る。日露戦争の凱旋後、青山墓地に戦没歿者の合同葬儀が執行された時、将軍が読んだ弔詞は僅か五分間で作ったといい、また音羽艦長時代、兵員の葬式の間際に帰艦したので間に合わず、白紙をひろげて弔詞を読んだという事もあった。余程文章構成に明敏の頭を持っていたものと見える。