将軍の信念

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  将軍は極めて信念が強かった。自分の信ずる所はどこまでも断行しなければ気が済まない性質であった。そしてそういう場合は周囲を無視して顧みないことがしばしばあった。
 これは前節の安井氏のいわゆる頑剛に相当するものだろうが、この点は将軍として長所でもあれば同時に短所とも言うべき点ではなかったかと思う。自分を信ずること厚きが故に、他の言うことなどは何をいうかと、ただフンフンと鼻先で返事をしながら聞き流してしまうことが少なくなかった。従って議論のために議論をするような事はなく、大抵の場合相手の説に対しては高を括っていたらしかった。兵学校以来の親友森山慶三郎中将とはしばしば議論を闘わせたようだったが、その森山中将も「いや我が輩の議論など秋山は余り尊重していなかった。もっともこっちで発案したのを、先生にどんなものかと相談しかける時分は、先生は夙(つと)にその事を考えていて、もう上官に意見書を提出しているような有様だった。」と語っている。
 そういう自尊的傾向のために、将軍は時として不用意の間に他の誤解を受けるような事もないではなかった。所信に厚く、またそれに値するだけの頭脳の所有者であるから、大抵の人は理解していたようであったが、場合によってはそうばかりもゆかない事もあった。
 「晩年編」説くところの明治四十年九州沿海の海軍大演習に於ける講評会議の一件などその一例である。
 将軍は所信に厚く、自己の観る所に忠実だったから、全く大胆とも不敵とも言いようのない独断的の点もあった。評する者、時に将軍を織田信長に例えたりするが、この辺りがつまり信長式な点なのではないかと思われる。

 夙に : すでに