秋山真之 言行録

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教育、学習

教官の善悪、書籍の良否等を口にする者は到底啓発の見込無し。
自啓自発せざる者は、教えたりとも実施すること能はず。


 天剣漫録の一節。教官や書籍の良否によらず、自ら進んで学ぶ事が必要であるという学習の基本姿勢を説いている。


過去五年間の試験問題を通覧すれば出そうな問題は大概推察することが出来る。必要なる問題はどの教官でも大抵は繰り返して出すものだ。また平素より教官の説明振りや講義中の顔つきに気を付けていると、その教官の特性が分かるから、出しそうな試験問題をほぼ推定することが出来る。

 竹内重利が海軍兵学校入学後に真之から教わった試験対策。竹内はこれを実践して同級生から試験上手と言われた。竹内は数人の友人にはこの方法を伝授したが、これだけでは不安ということで試験前に教科書全部の復習に専念したものの、全て覚えられずかえって虻蜂取らずに終わった人もいたという。


戦史、兵書より得たる所を自分にて種々様々に考え、考えた上に考え直して得たる所こそ実に諸君の所有物で、仮令(たとえ)観察を誤ることあるも尚百回の講座に勝る所得である。殊に兵術は口で言い筆で書いたものではない活術で、各自の研究により会得する外はないのだ。

 海軍大学校の兵学講演で学生に与えた訓言。真之は孫子、呉子、ブルーメなど東西の兵書を読破しただけでなく、弓馬術からの原理を兵術に応用するなど研究を重ねた。また、海戦の主役である艦船の構造や特性を把握するため、休日には造船技師のもとを訪れて造船術も学んでいたという。

人生について

人は、先ず三十歳までに人生に対する準備が出来ていなければならぬ。この人生の計画は青年時代にある。三十歳までに自己の目的を確立し、自分が拠って以て立つべき基礎が出来ていなければならぬ。

 柳原極堂が「青年のためになる意見、青年の処世訓はないか」と尋ねたとき、真之は上記のように答えた。当時の日本は今のような長寿国ではなかったので、真之はその点も考慮して「日本人のように五十歳が平均寿命となっている短命国にあっては、是非とも三十歳までには確乎たる人生に対する準備をしておかねばならぬ。もちろん西洋では六十歳八十歳になってから活躍する人もあるが、それは長寿国に於いてのみ出来得ることで、我国ではそうはいかぬ。だから日本の青年はどうしても三十歳までにその目的を樹てて進まねばならない」とその根拠も述べている。


徳性、元気、励心、健体は社会に立って百邪を排し千難に耐え万業を成就するの大要素にして、人もしこれを欠くる時は、その事業の何たるを問わず真正の大成は得て期すべからず、今君その要因を具備せらる、実に国家他日の良材たりと嘱望す。この四素は以て学識を進め、技能を錬り、功業を成すの大資本にして光陰はその過ぐるや箭(や)の如く、去りては復帰らず、乃ちここに時辰儀一組を贈呈して君が光陰の経済の用便に供す。君なお益々徳を磨き気を錬り、精を励まし健を保ち、この秒針の徐行するが如く将来大成の達域に漸進されん事を庶幾す。

 真之が松山道郷会の青年達に贈った時計に副えられた文章。道郷会は明治二十年に真之、山路一膳、勝田主計らが発起人となって組織された。軟弱を敵として活動する道郷会には厳しい規約があり、女性との同席の禁止、芝居見物の禁止、厳寒時でも足袋を穿かないなどということが定められていた。


兵理

敗くるも目的を達することあり。 勝つも目的を達せざることあり。 真正の勝利は目的の達不達に存す。

 天剣漫録の一節。劉邦は項羽との戦いに敗れ続けたが、最終的に中国統一という目的を成し遂げた。太平洋戦争開戦時、日本は真珠湾攻撃で敵海軍に大打撃を与えたが、敵の戦意を喪失させるという目的が達成されなかっただけでなく、逆に敵対心を煽る結果となってしまった。


戦争を嫌悪して人為的に之を絶無ならしめんとして却て之に倍する惨害に陥るべきを覚えざる徒と、又彼の必要以外濫(みだ)りに腕力を労してその贏(あま)ち得たる処失う處を償はざるが如きものとは共に憐むべき愚者の見なり。

 「戦争不滅論」の一節。西洋の兵学者クラウゼヴィッツが「戦争論」で述べている『人道主義者は「戦術の本旨は敵に過大な損害を与えることなく、協定によって相手を降伏させるだけでよい」と主張するが、戦争のような危険な現象にこのような良心をもちこんではならない。流血を厭わない者が相手である場合、敵が優位を占め、その意志を強要されることになってしまう。つまり、戦争の粗野な要素を嫌悪するあまり戦争そのものの本性を無視しようとするのは無益で本末を誤った考えである。』という見解とよく似ている。


神明は唯(ただ)平素の鍛錬に力め戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足し治平に安んずる者より直に之を褫(うば)う。古人曰く勝って兜の緒を締めよと。

 「連合艦隊解散の辞」の一節。この真之の訓言は十分に生かされず、この40年後に日本海軍は敗北して消滅する。


虚心平気ならんと欲せば、静界動界に修練工夫して人欲の心雲を払い、無我の妙域に達せざるべからず。 兵術の研究は心気鍛錬に伴うを要す。
岡目は八目の強味あり。 責任を持つと大抵の人は八目の弱味を生ず。宜く責任の有無に拘わらず、岡目なるを要す。 唯是れ虚心平気なるのみ。


 天剣漫録の一節。図上演習の意見書中にも「吾人の達せんと欲する最頂点は、親ら碁盤に対するも、また岡目の位置に在るも、寸毫八目の差なく、虚心平気、機宜に従いて万事を理解し得るの妙域に到るにあり」という一文があり、実戦に臨んでも平時の演習同様の余裕を持って精神の平衡を失わないということが、真之が精神面で重視していたことであった。


身は作戦の焦点にあるも、心は高く天上に在り、故に鉄火の興奮なし。眼鏡、私情に曇らざるが故に、八目の岡目は萬目の光を生ず。

 旅順封鎖中のある夜、哨戒中の水雷艇から「敵艦出動のきざしあり」との打電があった。この時、真之は自室で眠っていたが、宿直将校の報告を受けると直ぐに全軍の出動、台北丸への信号などを命じ、再び眠ってしまった(4巻38頁)。宿直将校は敵艦出動と聞いて興奮しているにもかかわらず、なぜ真之が冷静に判断を下す事が出来たのかを尋ねたところ、上記のような返答があった。


講評は敵の悪口にあらず、堂々味方の作戦の勝れるを挙げて、敵の非に触れるべからず。

 海軍大学校教官時代に常々説いていた事であり、明治四十年の海軍大演習後に講評の意見書を提出してきた赤・青両軍の参謀、齋藤七五郎、谷口尚真に対しても同様の意見を述べている。


その他

細心焦慮は計画の要能にして、虚心平気は実施の原力なり。

 天剣漫録の一節。細心:細かいところまで心を配ること。焦慮:焦って苛立つこと。虚心:心に何のこだわりも持たずに、素直であること。真之は他の文章でも「虚心平気」という言葉をよく使っている。


金の経済を知る人は多し。 時の経済を知る人は稀なり。

 天剣漫録の一節。海軍では「五分前」「出船」の精神があった。定刻前には自分の配置につくことを旨とし、入港した軍艦はいつでも出動できるように港口を向いて係留、靴を脱ぐ場合も軍艦同様すぐに出れるように揃えた。「五分前」「出船」は次の行動への構えであり、物事にすぐに対応するための心の準備であった。


短気は損気、急がば回れ。

 三笠副長時代、真之は天上や本棚に「短気は損気、急がば回れ」と書いた紙を貼り付け、自らの短所である「短気」を直すことを心掛けていた。


世界の地図を眺めて日本の小なるを知れ。

 天剣漫録の一節。真之の世界観をよく表している言葉。他国との国土・国力の差を知っていた真之は、晩年には「アメリカとは戦争をするな」と語っていたという。