子規の大学時代、国文科の本科生は彼と菊池寿人の二人だけだった。しかし、子規はよく欠席し、たまに授業に出席すれば皆が驚いたという。そんなある日「君はどんなに天気が悪い日でも必ず登校しているねぇ」と子規が言うと、菊池は「僕だってたまには欠席したいよ。でも、国文科の学生は二人きりだから少なくとも一人は出席しなければならない。それなのに君はいつも欠席だから、僕はどうしても出席しなければならないんだよ」と答えた。それを聞いた子規は「そうか、それは気の毒だった。今後は僕も勉強して出席するよ」と言ったが、子規がその年の試験に落第してしまったので、けっきょく国文科の学生は菊池は一人だけになってしまった。
子規が愚陀仏庵で夏目漱石と同居して頻繁に句会を開いていた頃、昼頃になると子規は勝手に蒲焼きなどを取り寄せて食べていた。そして東京に帰る事になった時、見送りに来た漱石に対して「悪いが、今までの昼食代のつけを払っておいてくれ」と告げた。さらに子規は「ついでに、十円ほど金を貸してくれないか?」と言い出し、漱石は半ば呆れてしまった。
数日後、奈良にいる子規から漱石宛に一通の手紙が届いた。
「恩借の金子は当地にて遣い果たし候」
冬になると、子規は雪隠へ入るときに火鉢を持って行った。漱石が「雪隠へ火鉢を持って行ったとしても、当る事が出来ないじゃないか」と言うと、「確かに普通はきん隠しが邪魔になるから、後ろ向きになって前に火鉢を置いて当るのじゃ」と答えた。「その(雪隠へ持っていった)火鉢で牛肉を煮て食うのだからたまらない」と、後に漱石は子規の思い出話のひとつとして語っている。
子規の随筆に書かれている学生時代のエピソード。
「明日は三角術の試験だといふので、ノートを広げてサイン、アルフア、タン、スイータと読んで居るけれど少しも分らぬ。困つて居ると友達が酒飲みに行かんかといふから、直に一処に飛び出した。いつも行く神保町の洋酒屋へ往つて、ラツキヨを肴で正宗を飲んだ。自分は五勺飲むのがきまりであるが、此日は一合傾けた。此勢ひで帰つて三角を勉強せうといふ意気込みであつた。ところが学校の門を這入る頃から、足が土地へつかぬやうになつて、自分の室に帰つて来た時は最早酔がまはつて苦しくてたまらぬ。試験の用意などは思ひもつかぬので、其晩はそれきり寝てしまつた。すると翌日の試験には満点百のものをやうやう十四点だけもらつた。十四点とは余り例の無い事だ。酒も悪いが先生もひどいや!」
また、子規は下戸の一人として酒の味について次のように述べている。
「われわれ下戸の経験を言ふてみると、日本の国に生まれて日本酒を嘗めてみる機会はかなり多かったにかかはらず、どうしてもその味が辛いやうな酸っぱいやうなヘンな味がして今にうまく飲むことが出来ぬ。これに反して西洋酒はシャンパンは言ふまでもなく葡萄酒でもビールでもブランデーでもいくらか飲みやすい所があって、日本酒のやうに変テコな味がしない。これは勿論下戸の説であるからこれでもって酒の優劣を定めるといふのではないが、とにかく西洋酒よりも日本酒の方が飲みにくい味を持っているといふ事は多少証明されて居る。それでも日本酒好になると、何酒よりも日本酒が一番うまいと言ふことは殆ど上戸一般に声を揃えて言ふ所を見ると、その辛いような酸っぱいような所がその人らには甘く感ぜられるやうに出来て居るに違いない」
子規の幼名「處之助」は、父の知り合いであった竹内一兵衛という藩の鉄砲指南役がつけてくれたのだが、家族もこの名前はあまり気に入っていなかった。そして、学校に行くようになると友人から「トコロテン、トコロテン」と言われるだろうということで、「升」にかえたという。
子規は生まれつき左利きであった。そのため学校で左手に箸を持って昼食を食べていると、先生に叱られたり、友達に笑われたりするため、弁当を食べずに持ち帰った事もあった。
子規は学生時代から食いしん坊であった。
「筆まかせ」の『正岡升鍋焼屋の訓誨を受く』という章は、「正岡升、井林博政(大州人)と同居す。共に大食を以て聞ゆ。一日食慾甚だ熾(さかん)なり。而して共に一銭の儲(たくはへ)なし。」という一文から始まる。ある日、金のない二人は友人の松木茂俊に鍋焼きうどんを奢らせた。三人でそれぞれ七鍋をたいらげた後、さらにもう一鍋ずつ注文したところ、うどん売りは「公等何ぞ暴食の甚だしきや。七鍋の饂飩猶腹を飽かしむるに足らず、更に何鍋を喫せんとするや。不養生も亦極まれりと謂ふべし。我最早誓て一鍋も売らざるべし」と怒り、子規らがいくら頼んでも注文に応じなかったという。
また、藤野磯子(古白の義母)は子規の食いしん坊ぶりについて次のように語っている。
『相当の大食で、ご飯も人並みでは済まなかった。それで時々お腹を悪くするので、主人が「これからは毎食三杯、必ず木椀で食べるように」と言いつけたのですが、ある時にその茶碗が割れたので一緒に買いに行きました。すると升さんはその中でも一番大きな茶碗をとって「これにします」というので、思わず苦笑せずにはいられなかった』<br><br>『私たちが蚊帳を買いに行くと言ったら、升さんから「お留守番のお土産にお寿司をお願いします」と言われたのですが、注文が間に合わなかったので餅菓子を買っていきました。升さんはそれをたらふく食べた上に、家に来たお客さんが食べ残した鰻丼まできれいに平らげてしまいました。サァ、その晩に吐瀉下痢の大騒ぎで、大食の祟りだなんて笑っていられませんでした。実は餅菓子、鰻丼のほかに、留守番中に庭の青梅をこっそり食べたんだそうです。』