ここでも提供、明治写真

当サイトへの依頼で特に多いのが、日露戦争中の写真など明治期の古写真の提供です。『「坂の上の雲」日本人の奇跡』でも戦場写真を10枚ほど提供させて頂きました。


初めて編集現場へ

まず最初に依頼を受けたのが、紀行文「旅順から奉天へゆく」で使用する写真。サイトで掲載している旅順攻撃、望台、首山など日露戦争当時の写真を使いたいとの事でしたが、サイトで写真を公開した後にも資料が増えて未掲載となっている写真も多いため、実際に資料を見て選んでもらうことになりました。
9月某日、2回目の打ち合わせのため再び文藝春秋本社へ。受付へ行くとなぜか来客用の名札を渡され、「エレベーターで○階へ上がってください」との指示。「えっ、上がるんですか?!」前と同じサロンだと思っていたのが、今度は社内。エレベーターで上がって通されたのは「会議室」と書かれた部屋でした。室内には「坂の上の雲」関連書籍が数十冊並んだ本棚があり、机の上には原稿や資料、さらに雑誌の進行表まで置いてありました。まさか編集現場に入ることが出来るとは思ってもいませんでした。

「旅順から奉天へゆく」

この時、編集長は旅順-奉天の取材旅行から帰国して間もない時期だったこともあり、畑の中で第四軍の石碑を見つけた時の興奮も冷めやらぬ様子で旅行中の出来事などを語っていました。打ち合わせに来たことも忘れて、取材写真を見ながら聞き入ってしまったほどです。
一通りお話を伺ったあと、本題の写真選定へ。「日露戦史写真帖」「日露戦争写真画報」など持ち込んだ資料を実際に見ながら選んでいただきました。例えば首山の写真、これは三種類あったので一番イメージに近かったものが採用されています。

「日露戦争「陸戦」ビジュアル年表」

その後で「実は今、こういうものも作っているんです」と見せられたのが、作成中の陸戦マップ。単行本の付録よりもさらに詳しいものを地図で作っているとのことでした。ここで編集長から追加の依頼「これに載せる各会戦の写真も選んでもらえますか?」。既にスキャン済みのデータも多いので引き受けたのですが、意外な条件が付いてきました。「実際に旅順から奉天へ行ってみたら、当時の日本兵はこんな遠いところまで徒歩で来て大変だったんだろうなぁって思ったんですよ。その苦労が分かるような行軍中の写真を中心に選んでください」とのこと。当サイトでも他の書籍でも、日露戦争の写真といえば攻撃中の写真がメインですが、行軍中の写真を中心にしたいというのは意外な発想でした。実際に各ページの写真を見て頂ければ分かるように、行軍中の写真が多めに掲載されているのは、こういった事情があったからです。サイトを運営していく中で「日露戦争の写真=戦場写真、戦闘中写真」という先入観があっただけに、今回の写真選別作業もよい勉強になりました。
ちなみに「占領直後の南山」「太子河を渡河する梅沢旅団」といった写真のキャプションは、私が写真データを送るときに付けたファイル名(それぞれ何の写真か分かりやすいように書いていました)をそのまま使って頂いたようです。